敗北が勝利と同じ価値を持つようになったのはいつからだろう。敗北はそのプロセスにおいて最大の努力を払ったのならばそれは勝利の後のその価値と同等のものを持つことは自明で、そのようなことは小学生のときから習っていることなのであるが、本当に腑に落ちて考えられているのは最近のような気がする。
わたしにはわかっているからだ。この結果の先に新たな挑戦が待っていることを。この結果の先に同じように素晴らしくなり得る人生が待っていることを。その結果によって強められ、補強され、高められる自分がもたらす新たな時代があることを。わたしは変化を起こしたし、その変化は変化をさらに呼ぶであろう。
わたしの本当の変化は次に起きる。1月の変化や2月の変化は本当の変化ではない。それは3月の変化への布石にしか過ぎない。わたしはいよいよすべてのわたしの鎧、こだわってきた過去、過度な防備を捨ててそれへと向かうのだろう。わたしがわたしそのもので勝負するそのときへ。素のままの自分へ。
わたしはそのような時を迎えられるということに幸せを感じざるを得ない。
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