Tuesday, December 30, 2008

blog - 2008年総括②

1つ1つ一応まとめておこう。

1位 MBA留学を目指す

わたしは突如MBAを目指そうと思った。その第一のきっかけは新しいプロジェクトでハイバリューな能力の有用性を強く意識したからだった。そしてわたしの年齢も30代前半ということで、以前夢見た留学というものを果たすには、今しかないように思えた。

MBAスクールに入学するためにはTOEFTとGMATという2つのテストでいい点数をとることが条件となり、それらのいい点数をもとに、希望する大学院へアプライをし、その過程でレジュメ、エッセー、推薦状などを作成・提出していく必要がある。なお、MBA留学は生活費も入れると2年で1500万ほどかかる。わたしはそれを目指したわけだ。本気で。


2位 GMAT 690点ゲット

GMAT690点というのは、かなりいいというか、上から12%の位置の点数であるわけだが、アメリカ人を相手にEnglishで同じ試験を受けるというのは非常に大きな刺激になった。根本的な英語力の向上が必要だった。ネイティブに負けないリーディング力が必要だった。そして頭脳の優秀さを彼らに示さなければならなかった。


3位 クライミングコンペ準優勝(一部優勝)

クライミングというのは非常に面白いスポーツだ。今年で2年ちょっとやってきたことになるが、これからも続けるし、もっともっと大きな成長を遂げていきたい。4月に1級課題(忍者返し、デッドエンド、その他ジム課題)を落とした。7月に右手首を負傷し、8月に左薬指を痛めた。辛く長いリハビリがあったが、最後にコンペ準優勝という果実をわたしは手に入れたようだった。


4位 グローバル製薬会社のPMOとして勤務

わたしは仕事にもっと燃えなければならない。勉強もクライミングもいいが、仕事がもっと上位に来なければいけない。福岡での刺激的だったプロジェクトを離れた後、わたしはスイス本社のグローバル製薬会社のPMOのメンバーとして働くことになった。エグゼクティブレベルとの毎日のミーティングがあった。優れた論理力を持つ顧客に出会った。非常にいい経験をわたしは積むことができた。


5位 オバマ、大統領への道

1月3日のアイオワ州での勝利からすべては始まった。その何ヶ月も前から注目してきたわけだが(ブログをみると2007年5月に書き込みがある)、彼のすばらしい政治にわたしは興奮しきってしまった。毎日YouTubeに更新される動画を見、彼の本を読み、日本よりアメリカのニュースを先に読んだ。そして11月4日、世界は彼を受け入れ、わたしはオバマ・プロジェクトを始めた。


6位 結婚は35歳までしないと決める

これがなぜ6位に来たかは謎だが、これは一種の攪乱のようにも思えたのだった。わたしは2008年の2月で33歳になったわけだが、そして世間的には結婚をし、子供を持ってもいい年齢のようにも考えられなくはなかったが、わたしは今でも坂本竜馬のことを思い出すのだ。最終的にはよくわからぬまま結婚したが自分の志に生き、それを達するまでは嫁をとらぬと。


7位 福岡との別れ

1月31日にわたしは福岡を発ったわけだった。そこにはたくさんの思い出があった。たくさんの出会いがあった。そしてたくさんの別れが。わたしはそのラーメンを忘れないだろう。わたしはそのいくつもの鍋を忘れないだろう。わたしはそのお酒がもたらした惨事を忘れないだろう。わたしは九州ぶらり旅を忘れないだろう。わたしはその3ヶ月を決して忘れないだろう。


8位 精神的変化(後悔と死に対する感覚の変化)

実はこれが隠れ1位といってもいい。わたしは今まで「後悔」というものをしたことがなかった。わたしは「意志が強く、自分で決断し、後悔などとは無縁な男」だと思っていた。そしてわたしは死というものを別の角度から眺めた。それは間違いなく一歩一歩わたしに近づいているものだった。わたしは恐怖し、救いを求めた。わたしは弱く、平凡で、普通の男だった。わたしはわたしの過ちを認めた。


9位 TOEFL スピーキング 23点ゲット

12/7の試験でスピーキングの点数がようやく「良い」点数になった(30点満点だからまだまだだが)。スピーキングがわたしを悩ませていた。この最も目立ち、ビジネスの場で重要視される能力をわたしは最も必要とした。日々の勉強はこれに費やされた。しかし最も辛い学習だった。そしてわたしはその糸口を見出し始め、最近は隣のキムさんと毎日英語で会話し、わたしは随分やるようになった。


10位 インドへ研修旅行(8月)

ようやくインドへの旅行を果たすことができた。会社の研修で行ったが、それは非常に刺激的だった。インドがどうしてここ20年オリンピックを開催できないかを実際に見てきた。貧富の差を実際に感じてきた。3食カレーがどうして実現可能かもわたしの胃が感じ取った。素晴らしい研修を受け、haruy02も輝いたが、それはわたしの目を鋭くさせる一因にもなった。


番外:  ウォールストリート崩壊

ウォールストリート崩壊(金融危機)には随分とやられた。利益のほとんどが失われた。だがわたしはこれをまったく憎んでもおらず、むしろ感謝しているくらいだった。投資を始めてから初めてリセッションというものを経験した。リセッションがどのように振る舞い、そして人々がどのように反応するかを実際に感じ取ることができた。わたしはファイナンスでも成功するように義務付けられた男だった。


2008年、それは鍛錬と、小さな成功と、大きな試練から成り立っていた。

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