なぜか?というところについて少し話してみたい。
端的に言うと、今回の転職の目的は次のようなものだった。
・新しい挑戦を始める
・グローバル環境へ身を置く
・今までの強みを生かし、さらに発展させる
中でも、「グローバル」という言葉は大きなキーワードだった。英語を猛烈に勉強し始めたのは2年半前からだが、実はその前にも英語を勉強していたことは何回かあった。学生の頃、そして入社4年目くらいの頃だ。
アメリカ、そして海外への憧れは小さい頃からあった。ハリウッド映画が好きだったし、特に高校くらいのときからハーフなんじゃないかと言われ始めていたし?、英語を口に出してみると、なにやら日本語を口にするより自分に合っているのじゃないかと思ったりもした。
ただ、惜しいかな。やる気はあってもそれに至る方法論を知らなければ、夢は夢のまま終わるだけだった。やみくもに本を読んでもダメ、やみくもに英語を書いてもダメ、やみくもに情熱だけ燃えたぎらせてもダメなのだ。そこに至る道を知らなければ。少なくとも地図を持っていなければ。
過去のことは仕方ない。もし英語コーチみたいな人がいれば。もし尊敬できる学校の先生に出会えていたら。もし誰か何かのアドバイスをくれていたら。こんなことを言っても仕方がない。その原因は外にあるかもしれなかったが、それを引き寄せられなかった自分にも当然あるのだから。
社会人になりいろいろな本を読んでいくに従って、広範な知識を得、自然の摂理を知り、人がどのように生きていくかを知った。実にいろいろな出来事があったように思う。明らかに幼稚なわたしの頭は徐々に鍛えられ、慧眼に触れ、人類の偉大な英知に感化され始めたのだ。
禁煙と菜食主義があった。将棋と知能への格闘があった。恋愛と失恋があった。放縦と抑制があった。自転車での事故と大いに反省すべき過ちがあった。英語への挑戦の始まりと、中小企業診断士試験があった。わたしはやろうと決めたことに対して成功し始め、新しい態度と正しい姿勢を手にし始めたのだ。
そしてわたしは決断のときを迎えた。英語の道を取るか、それとも取らないか。それはなんでもない選択のようだが、極めて重大な意味をわたしの人生に対して持っていた。そのときは今ほど明確には認識していなかったかもしれないが、肌で感じていた。英語をやるか、やらないか。その選択で2年後、10年後が大きく異なることを。
わたしは決断のときを迎えた。それは過去と未来をつなぐ、実に大きな決断だった。
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