夢というのは決して未来志向のみじゃなくて、大いに過去志向を含むものなのだ。つまり夢というと新しい生活、新しい目的、新しい活動といったものを思い浮かべるけれど、実は今までの生活、今までの目的、今までの活動が色濃く反映されたものなんだね。
それが夢の健全で正しい姿だね。子供の頃に夢見る夢は夢にあらず。それは与えられたイメージに過ぎない。パイロット、ナース、消防士、etc。それは過去に根ざしていないから弱いし、夢が持つ本来の力を発揮できない。それは忘れるべくして忘れさられ、それは至極もっともな結果だ。
時が経つにつれて、夢を持つ者が出てくる。たゆまぬ精神で、または何らかの偶然により、それはその者の過去に深く根ざし、その未来にそれを求めざるを得なくなってくる。夢という言葉を知るわれわれ人類は、その力を知り、それを最大限に活用するのだ。過去と未来をつなげようとするのだ。
未来を知りたければ、過去を知るといい。未来を変えたければ、今日から積み重なる過去を変えればいい。われわれは何らかの一貫性を求める生き物であり、未来と過去をつなぐものこそ、夢と呼ばれるものなのだ。だから今度こそ力強く答えるといい。「わたしには夢がある」、と。
美しい人の夢は女優であり、人を愛する人の夢は妻であり、夫であり、サッカーばかりしている人の夢はサッカー選手であり、監督であり、平凡な人もつつましい堅実な夢を持ち、派手な人の夢はパッと弾けとび、寡黙で力強い人の夢は同様に力強く、そして静かだ。
わたしの未来は明らかに「グローバル」というものに向いており、それはわたしが今まで身につけてきたジグソーパズルの一つ一つのピースがそのように仕向けているのであり、それは自明で、実に自然なことだ。「グローバル」といっても実に曖昧だが、その曖昧さも含めて、それは過去と未来をつないでいる。
わたしは今までジグソーパズルをしてきたのだから、これからも続けていこう。
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