Sunday, July 23, 2006

blog - 夢、求めるものについて (3)

夢は、いろいろあった。


アジャイル開発の夢にうなされていたときがあった。技術的な話なので詳細まで踏み込まないが、西暦2000年、アメリカにおいてシステム開発に関する革命的な考え方が生まれ、去年の始めの頃だったろうか、わたしもそれ関連の書籍を当然英語で読み漁り、興奮しきってしまったのだ。

OO、XP、アジャイル、Java、Webサービス、SOAなどの技術関連の言葉がわたしのなかで確実で明確なイメージを形成し、そのときから、わたしはこの業界において不可能なことはないと確信するようになった。しかし適切な経験、適切な環境、適切な態度がなかったため、その夢は頓挫してしまった。


MBAへの夢もあった。中小企業診断士合格後、わたしの次の挑戦を求める飢えた狼のような心は、ごく自然にMBAへの挑戦という選択肢を選んだ。診断士試験の一発合格で自分に自信を抱き始めていたし、1年または2年という歳月に対して本気で取り組めば、何でも可能なような気がしていた。MBAも同様だった。

MBAへの挑戦はアメリカ名門校の経営大学院への挑戦と同義だ。その受験プロセスは高度に複雑で、その全容を掴むだけでも大きな時間を要した。英語が必要だった。しかも流暢に駆使し、高度な論文を容易に書けるような英語力が。MBAホルダー及びアプリカントの集まりにも何度か顔出し、情報交換をした。知り合いもできた。

そして財政力が必要だった。2年間で1500万円近く必要だった。機会損失(2年間就労していた場合に得ていていたであろう金銭)を加えると、3000万円にも及ぶのだった。途中から明確に認識できたのだが、MBAはエリートたちの道であった。一流の大学から一流の企業へ。そして社費派遣でMBAへ。わたしは、、、それではなかった。


会社を変える、良くするという夢もあった。診断士を取得し、情報技術に関する専門的な研究の後、会社の問題点が明確に理解できた。問題点は明らかで、それを解決する対策も明らかだった。しかしその対策は非現実的であり、企業の歴史と制約を考慮していなかった。経営陣に伝えたが、意味はなかった。

技術力が直接的で最も大きな問題であった。情報技術の領域は年々レベルが向上しており、われわれもやり方を変えなければならなかった。いままで何とか通用した方法も、これからはまったく通用しなかった。そしてその問題を解決するには、組織構造の変革を伴う、何か大きな対策が必要だった。教育や時間の経過とともに蓄積される経験などでは、対した効果は上げられないことは明らかだった。

経営者であれば・・・、と何度思ったか知れない。また、報酬制度に関する大きな誤りもあった。これも伝えてはみたが、意味はなかった。できるなら仮想の若手取締役会が結成され、経営戦略を論議したかった。5つくらいの効果的な大きな施策が打てれば、ドラスティックに変わるはずだった。しかし、企業は組織によって成り立ち、組織は歴史により成り立つ。そううまくは、いかなかった。


いくつかの夢はあった。それらは敗れ去るか、沈黙した。

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