ちなみにわたしは鈴木孝夫氏の本を先々週から5冊読んでおり、それは以下の順番なのであった。
1. ことばと文化
2. 日本語と外国語
3. 教養としての言語学
4. 日本人はなぜ英語ができないか
5. 日本人はなぜ日本を愛せないのか
実は五冊目はまだ途中だが、『ことばと文化』でこの人は本物だとわかってから代表的なところをAmazonでがつんと一括購入し、年代別に読み進めたわけであった。言葉に関する大きな発見があった。そして何より氏の鋭い考察がわたしの脳をインスパイアし、様々な観念が所構わずわたしの中を行き来し、わたしの中ですべてがつながったのだ。
すべてがつながったのだ。わたしの今までのこと。世界の成り立ち。戦争と平和。ナウシカと腐海。チルチルとミチル。わたしの思考形態。そしてわたしの帰るべき家。すべてが電撃とともに解明されたのだった。今までの失敗。これからの失敗。わたしの闇と希望。進むべき道。生き方。好みの女性。そして心の拠り所。
ここしばらく寝れそうにない。この未曾有の大発見を克明に記録しなければ。夏目漱石の『こころ』を実家で読み返したときに感じた、トルストイの『人生論』を布団の中で読んで感じた、そしてアレン・カーの『ダイエット・セラピー』を読んだときに感じたどのパラダイム・シフトよりも大きなものだと思えるこのパラダイム・シフトを。
すべてが伏線だった。去年ニューヨークとロンドン、そして北京を見てきたこと。小金井公園で社会人にもかかわらず自転車でこけてあごを8針縫ったこと。そしてそのせいで髭を生やしたときに禿ができたこと。今までの失敗。ダークサイド。出会いと別れ。空回りと永遠に続くと思われた沈黙。英語との出会いと転職。そして空虚と、それを埋める滝。
おっと、前置きが随分長くなったしまった。本の解説に入ろう。
・第1章「ことばで世界をどう捉えるか」 - ことばは「もの」そのものというよりも、その「もの」をみる人間の捉え方である。だから民族が違えばその言葉の定義に大きな違いが現れてくるし、それは数多くの例から示すことができる。オレンジ色の車、フランスの黄色い封筒、りんごの色などが出てきた。
・第2章「虹は七色か」 - 第1章とほぼ同じ内容だが、虹という1つのテーマをもとに言葉というもの、認識というもの、そしてその歴史の中での展開を見事に解説していたように思う。
・第3章「日本人はイギリスを理解しているか」 - ここで一気に文明論、文化人類論の色が強くなってくる。イギリスの靴屋に靴べらが置いていないこと、運動会の商品が現金であること、英国人が絶対に食べないものなどを分析。言葉が単に言葉ではなく、人間そのもの、もしくはその歴史や思考形態を表すものであることを彼は完全にわかり始めていたのであった。
・第4章「漢字の知られざる働き(1) 音読みと訓読みの関係」 - わたしも漠然とは感じていたことであったが氏は見事に漢字の働きについて分析を行ったのであった。実証的かつ理路整然としており、アルファベットと漢字、英語と日本語をあらゆる角度から分析し、見事に言葉の本質を抉り取った。これはソシュールにもできないことだし、チョムスキーも同様だ。(当然だ。彼らは漢字を知らない)。中でも高級語彙(閉所恐怖症や足病医など)における英語と日本語の比較のところは涙が出たね。
・第5章「漢字の知られざる働き(2) 視覚的弁別要素の必要性」 - 第4章の続きだが、ここでは欧米の言語と日本語の比較についてさらに分析を進め、音韻・音節構造の分析(日本語はこの点についてかなり貧弱なのだ)、意味構造の抽象性に関する分析(日本語はより抽象的で、英語はより具体的となる)、そしてそれらを踏まえたうえでの漢字の重要性。最後は外来語バッシングと、日本語への想いで締めくくると。
ここまではほとんど言語学の領域で、言葉ってホント面白いって感じ。徐々にこれが変化してくる。
1. ことばと文化
2. 日本語と外国語
3. 教養としての言語学
4. 日本人はなぜ英語ができないか
5. 日本人はなぜ日本を愛せないのか
実は五冊目はまだ途中だが、『ことばと文化』でこの人は本物だとわかってから代表的なところをAmazonでがつんと一括購入し、年代別に読み進めたわけであった。言葉に関する大きな発見があった。そして何より氏の鋭い考察がわたしの脳をインスパイアし、様々な観念が所構わずわたしの中を行き来し、わたしの中ですべてがつながったのだ。
すべてがつながったのだ。わたしの今までのこと。世界の成り立ち。戦争と平和。ナウシカと腐海。チルチルとミチル。わたしの思考形態。そしてわたしの帰るべき家。すべてが電撃とともに解明されたのだった。今までの失敗。これからの失敗。わたしの闇と希望。進むべき道。生き方。好みの女性。そして心の拠り所。
ここしばらく寝れそうにない。この未曾有の大発見を克明に記録しなければ。夏目漱石の『こころ』を実家で読み返したときに感じた、トルストイの『人生論』を布団の中で読んで感じた、そしてアレン・カーの『ダイエット・セラピー』を読んだときに感じたどのパラダイム・シフトよりも大きなものだと思えるこのパラダイム・シフトを。
すべてが伏線だった。去年ニューヨークとロンドン、そして北京を見てきたこと。小金井公園で社会人にもかかわらず自転車でこけてあごを8針縫ったこと。そしてそのせいで髭を生やしたときに禿ができたこと。今までの失敗。ダークサイド。出会いと別れ。空回りと永遠に続くと思われた沈黙。英語との出会いと転職。そして空虚と、それを埋める滝。
おっと、前置きが随分長くなったしまった。本の解説に入ろう。
・第1章「ことばで世界をどう捉えるか」 - ことばは「もの」そのものというよりも、その「もの」をみる人間の捉え方である。だから民族が違えばその言葉の定義に大きな違いが現れてくるし、それは数多くの例から示すことができる。オレンジ色の車、フランスの黄色い封筒、りんごの色などが出てきた。
・第2章「虹は七色か」 - 第1章とほぼ同じ内容だが、虹という1つのテーマをもとに言葉というもの、認識というもの、そしてその歴史の中での展開を見事に解説していたように思う。
・第3章「日本人はイギリスを理解しているか」 - ここで一気に文明論、文化人類論の色が強くなってくる。イギリスの靴屋に靴べらが置いていないこと、運動会の商品が現金であること、英国人が絶対に食べないものなどを分析。言葉が単に言葉ではなく、人間そのもの、もしくはその歴史や思考形態を表すものであることを彼は完全にわかり始めていたのであった。
・第4章「漢字の知られざる働き(1) 音読みと訓読みの関係」 - わたしも漠然とは感じていたことであったが氏は見事に漢字の働きについて分析を行ったのであった。実証的かつ理路整然としており、アルファベットと漢字、英語と日本語をあらゆる角度から分析し、見事に言葉の本質を抉り取った。これはソシュールにもできないことだし、チョムスキーも同様だ。(当然だ。彼らは漢字を知らない)。中でも高級語彙(閉所恐怖症や足病医など)における英語と日本語の比較のところは涙が出たね。
・第5章「漢字の知られざる働き(2) 視覚的弁別要素の必要性」 - 第4章の続きだが、ここでは欧米の言語と日本語の比較についてさらに分析を進め、音韻・音節構造の分析(日本語はこの点についてかなり貧弱なのだ)、意味構造の抽象性に関する分析(日本語はより抽象的で、英語はより具体的となる)、そしてそれらを踏まえたうえでの漢字の重要性。最後は外来語バッシングと、日本語への想いで締めくくると。
ここまではほとんど言語学の領域で、言葉ってホント面白いって感じ。徐々にこれが変化してくる。
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