Saturday, December 09, 2006

China - [Day4] 地下鉄(初)に乗り、北京動物園へパンダを見に。そしてMacで感じる


(※北京の地下鉄)

地下鉄に乗った。一回3元。まあ普通な感じで、悪くない。ただ、自動改札とかはない。乗ったのが平日の昼過ぎくらいだったから、車内もあまり混んでいない。バスに次ぐ市民の足だ。途中、吉野家で牛丼をオーダーした。セットで20元くらいだった。


(※牛丼セット。味噌汁はなかったみたい)


で、北京動物園ではパンダしかみなかった。4、5匹はいた。(平日ってことはあるんだろうけど、ガラ空き。規模も上野動物園の比ではないね。


(※ガラス越し。なんか妙な可愛さなんだよなー)


まあ、パンダしか見ないといいつつ、虎だとかもいた。


(※うん、虎だね。)


今日は郊外の観光スポットとして有名なイン和園や、中国の最高学府といわれる北京大学などを覗いてみたかったのだが、時間的な都合と、体力的な都合で(左足をかばいつつ歩いていると、それが所々に痛みを生むのね)、今日はここまで。Macに入り、コーヒーを飲みながら夕暮れの中、一人たそがれる。


(※北京動物園近くのデパートの3Fから。夜景がきれいだった)


何をたそがれていたかというと、今回の旅はものすごく大きな衝撃を与えたわけです。まず、人々との交流がとても面白かった。うん、旅の目的は「視察」だと、わたしは言ってきた。そこには現地の人と仲良くなるとか、おしゃべりするとか、そういうのがあまり含まれていなかった。でも、今回の旅でそれが重要であるということがわかったし、それができつつあるというのがわかったし、今後も続けていこうと思った。

大陸的に生きようと思った。何かに境界を作るのではなく、シームレスに、ボーダレスに、大陸的に、物事を成していきたいと思った。北京は広かった。どこまでも人の営みがあり、どこまでも車が走っていた。そしてさらに北には万里の長城があり、ロシアがあり、北極がある。南へも同様に、その大地は、無限の勢いで頭の中で広がっていた。

このマックの中でも中国人たちは小柄で、楽しそうにしており、一般の日本人が感じているイメージとは大きく異なるものに感じられた。確かに「外」というものに対して彼らは高圧的に対峙する。歩いているときに肩がぶつかる可能性が日本の3倍から5倍はあったし、車の運転、大きな声からその辺は推察できた。

しかしそれは何千年にも及ぶ大陸の歴史から生まれたものに違いがなかった。しかもここしばらくは侵略されることが続き、彼らのメンタリティーは非常に危険なゾーンに入りつつあった。強くいかなければ、やられるだけだった。それに対して、「内」に対しては非常に温かみがあった。中国語でまず話しかけると、コミュニケーションが非常にうまくいくことに旅の途中で気がついた。

かつ、「シェイシェイ」で終わらせるのではなく「シェイシェイ・ニー」まで行くと、何かほがらなか反応が相手から返ってくるのであった。英語だけでもコミュニケーションをとることも可能だったかもしれなかったが、これは人類共通の性質として、「内」に入ってきてくれる人には好意が示されるのであった。

そういうのもあり、ここ北京のMacにて、中国語を勉強することを固く決意したわけだった。大陸的に生きようと決意したわけだった。(思えば「大陸的」という言葉はここで生まれた気がする)。俺がやらずに誰がやると。英語、中国語、そして日本語を駆使し、類まれなる行動力?と率先力?で、俺がやらずに誰がやると。


俺は大陸に生まれ、大陸的に育つのだ。

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