Thursday, December 07, 2006

China - 「どちらが性善説で、どちらが性悪説か」



これがわからなくなった。

自由主義は性善説で、統制主義は性悪説であるというのが一般的な見解だろう。そうだろうか?

最も純粋な状態で生まれてきた子どもたちは、一体何を見るのだろうか?大人の嘘だろうか?それとも静寂だろうか?

子どもたちがすれて、暗闇へと飲み込まれていく。何が原因だろうか?巨大な靄だろうか?裏切られた鉄槌だろうか?


どうやらわたしは、別に危険思想を持つに至ったわけではなく(笑)、中国の現地で見た中国の若者たちの輝きに心を動かされたようだ。そして無意識にその真因を探り、それぞれの政体の差異にそれを見つけたのだ。

子どもたちにとっては、矛盾のない世界が何よりの成長土台であると思われた。知事の汚職が次々と発覚し、大人たちは享楽に溺れ、銃とナイフが現実を切り裂くような環境では、目標を見失い、目は死に、退廃的な笑いに堕ちるしかなかった。

規律が必要だったし、そうすれば、性善説でもって子どもたちは守られた。わたしは中国の若者たちの目の奥に、その光を見出したのだった。貧しく、洗練もされていないが、何か強い、素朴な、純粋さの光を持っていた。そしてそこには、大陸的な何かが宿っていた。


わたしはわたしの夕暮れの中で感じた感触を、一生忘れないだろう。忘れてはいけないだろう。

No comments: