Friday, April 28, 2006

London - ロンドン決算(最終)

決算報告をしておきたい。

往復航空券(格安) … 6万5千円(※燃料サーチャージ等込み … 8万5千円)
ホテル1泊目 … 約30ポンド
ホテル2泊目 … 約13ポンド
ホテル3泊目 … 47ポンド
ホテル4泊目 … 45ポンド

フィッシュ&チップス … 8ポンド
サンドイッチ … 2.5ポンド
ダブルバーガー(Mac) … 約2ポンド60ペンス
ビール(ラガー) … 2ポンド強
ビール(ギネス) … 2ポンド80ペンス
チップス … 1ポンド強

おみやげ① … 1ポンド × 3
おみやげ② … 2ポンド × 6
おみやげ③ … 4ポンド × 2

Tube … 3ポンド × 7
Express … 23ポンド
Tube(空港まで) … 4ポンド × 3
バス … 0ポンド
タクシー … 0ポンド

ミュージカル … 44ポンド(※レ・ミゼラブル。Stall)
総チップ … 1ポンド
美術館 … 0ポンド
インターネット・カフェ … 3ポンド(※プリントアウト2枚含む)


事前投資 … 0ポンド

─────────────────
総費用 … 約15万円


以上

※換算レート:1ポンド203円

London - ロンドンまとめ⑦ 「世界を旅すること」



今年、年初に大きな三つの目標を立てた。

1. 英語を極めること
2. 1億円をつくること
3. 世界中を旅すること


思いつきで立てた目標だが、書き終わってみてこれらを眺めてみると、実によくできていた。というのは、これらは相互に依存し合っており、そして相乗効果がそれぞれに最大限に発揮されそうだったからだ。

英語はもう2年近く勉強しており、そろそろ極みの世界に到達しなければいけない頃だった。投資については、わたしはリスクを極限まで減ずる能力を既に身につけていたが、そろそろ大きな果実を手にするべく行動する時期に来ていると感じられた。

そして旅については、学生の頃に親に連れて行ってもらったハワイやオーストラリア以来なぜだか自らに禁じていた世界というものに対しての接近を、そろそろ再開するタイミングだと感じた。これはNicholeとの出会いが触媒になっていることは既に書いた。

英語があれば、世界がみえた。世界がみれれば、より大きな能力が手に入った。より大きな能力があれば、それをその他の分野に還流させ、より適切な英語学習、より多くの国への散歩旅が実現できた。そしてさらに、より高度な英語能力があれば、外国企業の財務諸表が完全に理解でき、スペイン語やポルトガル語をマスターするのも容易で、わたしの行動範囲がますます広がった。

夢は広がった。ブログを書いた。そしていろいろな出会いが促進された。──わたし個人という視点に立てば、今ほど充実している時はあるまい。昔、100円を募金することがためらわれた。それはこの100円は近い将来、1億円になるものだと確信していたからだ。そしてそれを果したとき、わたしは変化しなければならない。そうでなければ、単なる偽者だ。


ロンドンは素晴らしかった。そしてロンドン後、わたしの夢は加速する。

以上

London - ロンドンまとめ⑥ 「靴、スニーカー」



ニューヨークでわたしの足が破壊されたことは記憶に新しい。PUPPY HUSHの革靴っぽい靴で行ったからだ。その教訓を生かし、わたしは10年来愛用している元々は真っ赤なこのスニーカーでロンドンを旅してきた。

「あなたはロンドンに何をしに行ったのですか?」と聞かれれば、わたしは「それは視察のためです」と答えたいところだが、実質は「散歩に行ってきました」ということになるだろう。わたしほど旅行者であれほどロンドンの街を歩き回った人間もいないだろう。それほど歩いた。

たまに足に軽い痛みを感じて、ニューヨークの悲劇が思い出されたけど、このスニーカーのおかげで、わたしは最後まで、というより最後に近づけば近づくほど、元気よく歩き回ることができた。バスは全く必要なかった。ロンドンのダウンタウンまで含めたほぼ全域を、わたしは歩いて見て回ることができた。

スーツやジャケットに合わないことは少々残念だけど、いや、工夫すれば合う組み合わせは見つけられるかもしれないけど、わたしはこれからの旅もこのスニーカーやその役割を引き継ぐ新しいスニーカーで、世界の街を歩き続けるだろう。


歩き回れば、世界は歩きのスピードで手に入る。

以上

London - ロンドンまとめ⑤ 「GUINNESS」



ギネスビールのうまさっていったら半端ではなかった。今までわたしは黒ビールをあまり飲まなかった、というかむしろ嫌いだった。しかしロンドンのあの広場で飲んだギネスビールは最高の味だった。4日目の少々疲れ気味のわたしが飲んだガストロ・パブでのそれもまあまあ最高だった。

帰国後、インターネットで検索して丸の内にガストロ・パブがあるのを発見した。会社から相当近い。早速行ってみた。1パイントのギネスがそこにはあり、わたしはロンドンの素晴らしい思い出を思い出しながらそれを飲んだ。うまかった。でもそれは本場ロンドンのそれにはなぜだか負けていた。

わたしの英会話の先生であるNicholeにロンドンではビールがとてもwonderfulだったと言うと、「それはCold Beer?それともWarm Beer?」という質問をされた。初めて聞いた言葉だったので質問すると、コールド・ビールとはラガーのような普通のビールで、ワーム・ビール(温かいビール)とは黒ビールのようなものをいうらしい。なるほど。

今日、酒屋でギネスを買ってきた。本場ロンドンのパブで出される本物のギネスにはかなわないけど、黒ビールをあの素晴らしいロンドンを思い出しながら飲んでいる。人生は素晴らしい出会いで一杯だ。黒ビールを全く好きでなかったわたしが、ロンドンへの旅を境に黒ビール党に変わっていた。旅は素晴らしい。新しい自分を発見できるという点で。


わたしは近い将来あのTHE CROWNに戻ってギネスを2ポンド80ペンスでオーダーすることだろう。

以上

London - ロンドンまとめ④ 「金額の大小か、または否か」

そろそろ軸足を英語ブログに置いていきたいから、ロンドンまとめの全7回シリーズも素早く完結させていくことにしよう。TOEICテストにおいてトップ1%、流暢に話せて、滞りなく書けて、哲学的で文学的なことも英語でどんどん言っていけるように早くなりたいのだ。

さて、ロンドンを旅して、実は前からもわかっていたことなんだけど、俺ってケチかって思った。いや、ケチではない。金額と、投資に対しての効果に鋭敏な感覚を持っているだけだ。・・・って同じか。

というのは、旅行ブログで暗黙的に示してきたように、わたしは大英博物館や自然科学博物館の入場料が無料と知るやそこに飛び込んでいったし、ケンジントン宮殿やロンドン塔への入場が入場料を取られると知った時点でそれらへの入場をやめたし、高級なレストランでのディナーよりホテルでのマックを選んできたわけだからだ。

しかしこれについても複雑な複合的な要因があるように思う。有料の宮殿や施設に入らなかったのは本当に先を急いでいたというのがあったし、つまりわたしは観光的な場所より街中のスクエアなどのところに長くいたかったというのがあったし、レストランは前述のように一人で入るところではないから、自然ファストフードや手軽に食事できる場所でお腹を満たしたわけだ。

あの2階建てバスに一度も乗らなかったのはなぜだろう。それは明らかである。わたしは観光の為にロンドンに行ったわけではなかったのだから、バスはバスそのものを楽しむというのではなく単なる移動手段の一つであったし、移動手段であればわたしの強靭な足腰と、3ポンドという異様な値段であったけれどロンドン中を網羅し、より適切に目的地に到達できるTubeというものがあった。

わたしははっきりいって優柔不断である。大抵、何かを決めるときにはコンマ数秒から数十秒の間、その選択に際しての考慮を加える。ただ最近思うことは、これは本質的には優柔不断という種類のものではないということ。つまり比較的長い考慮時間を要するけれど、それは決着がつかない迷いの迷路に迷い込んでいるのではなく、様々なパラメータを与えた上でのその意思決定の複雑な経路を着実にたどっていっている結果に他ならないと。

例えば仕事の会議において、度々、その決定に対してわたしは違和感を覚えた。その違和感を口にすることもあたったし、口にしないこともあった。しかし口にしたところでそれは明確な論理として形成されているわけではないから、口にするしないに関わらず、それはその決定に対して影響を与え得ない。しかし、後日ないしは1時間後、わたしの論理が明確になるにつれて、その決定が誤りであることがはっきりと認識できたわけである。(そしてそれは実際誤りであった)

しかしそれは後の祭りで、仕事上でも、プライベートでも、この認識の遅さに度々自分を責めたものだ。「わたしはあの場でこう発言して、会社をこのように変えるべきであったのだ。」、「わたしはあの時このように行動して、本来あるべきこのような状態にわたしを置くべきであったのだ。」 など。いわゆる後悔で、わたしはこのような状況を改善する必要があった。

今、このようなタイムラグはなくなりつつある。わたしは物事を瞬時に考え、それを発言するという態度を度重なる鍛錬のもと、実現しつつある。だってこういうのはホントもったいないからね。本質を理解する能力がありながら、その能力を発揮できないなんていうことは、行動を重視する実践家にとってはあってはならないことだし、百ます計算で世界記録を樹立したときのような勢いで、わたしはよりバリューを発現していきたいと思っている。

話がロンドンから少し離れたね。要はですね、わたしが街中のジュースの自動販売機の前でしばし考え込んでいるのを見た人は、こう思ってください。こういうときわたしは次のようなことを考えている。インドやアフリカの孤児がどうしているか。菜食は人類の未来的な帰結であると思うが現代はそれから幾程はなれているのか。わたしは今朝何を食べたか。そして夜何を食べるか。というようなことを総合的に考えているのですよ。


随分つまらない投稿になった。明日は早い。

以上

investment - 久しぶりの取引。自動車業界

2年ぶりに大きな金額を動かした。ホンダの株式分割につられてか、日産も久しぶりの大きなアップを果した。半分売った。2倍。

株式投資はリスクがある金融取引だけど、わたしはリスクを極限まで小さくする戦略をとっている。常識でいって「下がるはずがない」という業界/銘柄を慎重に選択し、それを長期間あたためる。

株式への直接投資は現代の資本主義世界に生きる人間にとっての正常な、自然な行動であると思っている。銀行への預金は間接的な株式への投資に他ならず、わたしは自分で何らかの判断をしたいと思っていたから、この様々な相乗効果を生む行動を取るに至らざるをえなかった。

業界でいえば、今までいろいろな業界を見てきて実際に投資もしてきたけれど、グローバルに成長を期待できる業界が一番リスクが低いように思えた。今様々な業界を俯瞰しても、自動車業界ほど日本企業が安定的にかつ継続的に成長できる業界はないだろう。

日産自動車に投資を続けてきた理由は、直接には『ルネッサンス』などの著書を通じてカルロス・ゴーンという人間に期待が抱けてたのと、証券分析の結果その株式が割安であると判断できたからだ。あの9.11の直後から買い始め、それからも定期的に買い続けた。

みながスポーツ新聞や漫画を読みふける中、『ルネッサンス』を読み込んでいた何年も前の新幹線の中の記憶が蘇る。わたしは確かに危険は道を歩んできたのだろうけど、振り返ると、今の満足いく投資結果というものは自明の成果であったような気がする。

トヨタや日産のドメインが日本国内に限られていたのであれば、たとえ彼らがとてつもない努力を積んで素晴らしい製品を生み出していたとしても、わたしはこの業界に対して投資を行うことはなかったであろう。結果論と批判を受けるかもしれないが、わたしはこの日本の株式市場における自動車業界の興隆を予見していたのだ。

信用取引やデイトレードを続けている人の何人かは、何千%という驚異的な利益を得てはいるだろう。しかしそれは競馬において万馬券をあて得る人のように、希少だし、不確実だし、他の生活要素に対しての相乗効果が得られるものではない。

わたしが相乗効果といっているのは、ご想像の通り、証券分析や企業戦略への理解といった自分自身のスキルアップと、社会とのかかわりだとか、新聞を読むことが面白くなるだとか、英語で財務諸表をよく読むモチベーションになったりするものだとかを意味する。

誠実な先見者が言うように、素人が何の勉強もせぬまま株式投資を行うことほど危険なものはない。わたしは投資を行う前に投資関連の書籍を15冊以上読んだし、それ以外にも経営学への理解といったあらゆる無形/有形の蓄積があったわけだ。

そして投資を始めてからも、継続的な学習は言うに及ばず、様々な経験/観察を続けてきたわけだ。ニューヨークやロンドンにおいても車種構成やブランド別の分析などを何気に行っていた。(例えばニューヨークのタクシーはフォードとトヨタで占められており、ロンドンの車はセダンがなぜか少なく、ミニバンが主流になっているなど)

わたしの今後の課題としては、例えば有名な経営学者である大前研一がみせる国際的な鋭い分析力を身につけることや、プロフェッショナルに近づくような証券分析力を身につけることだが、わたしには他にもやるべきことがたくさんあるから、相乗効果の最大限の発揮という視点を忘れることなく、経済人として、そして投資家として、いろいろと活動していきたい。


投資家を志す若者へ。

以上

Wednesday, April 26, 2006

London - ロンドンまとめ③ 「西洋人の美しさについて」

ニューヨークでもそうだったけど、ロンドンでも人を観察するということについては飽きを感じなかった。西洋人の美しさはわたしが言うまでもなく、まさに彫刻や、絵画を眺めているような感じだった。特に赤ん坊や子どもの美しさは、これは東洋人であっても同じことだが、まさに人間が神によって創られたことを証明しているかのようだった。

しかし塩野七生の本を読むにあたって、彼女の言う「美しさ」というものに対する哲学を理解するにあたって、山手線や新宿の街中でみる日本人の「美しさ」に対比されるところの醜さというのは、彼らの服装に拠るところが大きいのではないかと感じた。日本人も袴?や、または野武士のような格好や、女性であれば和服などのようなものを着ていれば、スーツや洋服を着る西洋人に対して抱いた美しさと同様のものを感じるのではないか。

ファッションセンスのないわたしが言うものなんだが、または服装に頓着を示さないわたしが言うものあれだが、何か日本発のファッションがあってもいいと思うのだ。おそらく現在でも日本人なりのスーツの着こなしや形態というのは進化しているのだと思うのだけれど、例えば坂本竜馬のあの写真がそれなりの美しさをもっているのを考えると、何かもっと大きなファッション上の大きな革命が起きてもいいのではないか。

いやホント、塩野七生のエッセー集『男たちへ』には感心したね。今日読了したんだけど、「フツウの男をフツウでない男にするための54章」なんていう読んでいることを人には恥ずかしくて言えないサブタイトルがついていなければ、もっとあからさまに人に薦められるんだけどね。まあ今日は明日への充電の為にもう寝ることにしよう。


世界を旅することによって、風景に色がつく。これ、極めて有益。

blog - 30にして立ち、40にして惑わず (3)

1つ、見つかったようだ。

今日、某ビジネススクールの説明会に行ってきた。わたしはその中の1つのクラスを受講することになり、その内容そのものには大きな期待は抱いていないのだけれども、というのは理論的な蓄積なり知識なりというものについてはわたしの桶は既に満杯に近くなっているからだが、3ヶ月という期間、わたしは具現化しつつある夢の実現について考え続けることになるであろう。

1つ、見つけつつある。わたしはわたしの創造性とアイデンティティを賭け、そこに至るこれからの半年間を駆け抜けるであろう。意志は明確で、準備は整った。わたしは今までにも増してより頭と肉体をシェイプアップさせ、この30代前半の大事業に挑むであろう。エベレストに登頂する前夜のような慎重な面持ちで。エベレストに登頂している際の敬虔な祈りでもって。


I hoped I climbed the Everest.

Tuesday, April 25, 2006

London - ロンドンまとめ② 「人について」



ニューヨークでは、わたしの世界デビュー戦という色眼鏡もあったかもしれないけど、全体的に乱暴な感を抱かざるを得なかった。地下鉄の駅でアフリカン・アメリカンなおじさんに怒鳴られるは、夜のダウンタウンは少し恐怖を感じるは、人の流れと車の流れが乱暴な感じがした。

ロンドンは違った。この前の英会話のときにアメリカ人である先生から"Is the people nicer than New York?"(すみません文法間違ってると思う)みたいなことを聞かれて、実に言いにくかったんだけど、そして適切なフォローの言葉が英語で見つからなくて情けなかったんだけど、"Yes(, they are)."と答えた。

ロンドンでは信号機なしの横断歩道の前に立つと、車は必ず止まってくれた(主にタクシーだったと思う)。歩きタバコする人もいたけれど、人の流れは何らかのヨーロピアンな優雅さを持っていた。人は大抵親切で、1泊目のホテルのレセプション係の人のようなぶっきらぼうな態度をとる人もいるにはいたけれど、ヒースローで道に迷っているときに声をかけてきてくれた人のような人が多かった。

ニューヨークとロンドンは観光都市であることに強く留意しなければならない。観光客は大抵おだやかで、親切だ。しかし観光客はその土地の人間ではないし、その国の民族性を明らかにしてくれる存在ではない。ただ、ニューヨークには比較的アメリカ人が、ロンドンには比較的ヨーロッパ人が集まることは自明であり、わたしの何らかの文化比較論に資したことは間違いない。

まだおぼろげだ。まだアメリカの正体とヨーロッパの真実を掴んだわけではない。わたしは地球儀上に大きな3点を書き記したわけだけれども、世界への深い認識を得るには3点からなる視察の図形ではまだ足りず、これから中国やインドなどにおいて更なる点を刻み込んでいかなければならない。そして忘れてはならないのは灯台の下だ。我が母国である日本についてもより成熟した目で見つめていかなければならないだろう。


以上

blog - 30にして立ち、40にして惑わず (2)

このテーマを題材にするといくらでも書けそうな気がする。要はですね、今わたしは悩んでいるわけです。実にフラフラといろいろなことをしているわけです。今は楽しいし、充実を感じる。しかし時は経て、人は年を数える。30代の男も、いずれ40代の男になる。

20代は勉強の時代だと思っていた。実際勉強は怠らなかった。ただ、それは十分なものとは感じられず、今も外的世界を離れて自己研鑽の時間を多く確保している。時間は限られている。時間は有限だ。それは当たり前だ。わたしは40において不惑を迎えるべく、そろそろ次のステージに向かわなければならない。

今日、会社の同僚であるN氏とT氏と昼食をとった。この話をしてみた。わたしは最近昼食を一人でとることが多かったけれど、まあそれはTOEICだとかの英語の勉強をするためなのだけれど、たまに気が向くと同期や同僚や上司と食事することがあるのだけれど、今日の昼食はなかなかよかった。メニューはロールキャベツだった。

話しながら、もうやってやろうと思った。「立とう」と思った。わたしは5/28にTOEIC930点をとり、集中的な勉強を要する課題はもうすぐなくなろうとしていた。IT、経営(財務)、語学というわたしの考える3つのファンダメンタルな能力は既に土台を形成し始めていた。あとはいかに「立つ」かだ。

人の「40にして惑わず」への意見や感想は様々だった。しかしわたしの「40にして惑わず」への態度は明確だった。明らかな認識をわたしの目の前に提示していた。それへの道程のイメージは既にできており、あとはそれを具体化するだけだった。具体化して、行動に移すだけだった。


最後に30代であるわたしの好きな言葉を。"Everything is possible."

blog - 30にして立ち、40にして惑わず

塩野七生が素晴らしいことを言った。「三十にして立ち、四十にして惑わず」は『論語』の孔子の言葉だが、わたしの敬愛するこの偉大な女性作家は『男たちへ』というエッセー集の中で、この言葉に対しての彼女なりの素晴らしい慧眼を発揮した衝撃の文章を書いた。

昨日、床につき、眠けまなこでこの本を読んでいたわたしは、これについて言及している「不幸な男(その一~三)」を読むにあたって、目は爛々と冴え、様々な観念が無限に広がり、どうにも眠れなくなってしまった。頭にハンマーを食らったような衝撃だった。ベッドの中で、背筋が自然に伸びた。

要はこういう話である。40代になっても迷っている男は不幸である。その不幸は顔に出る。たたずまいに出る。30代は、10代、20代で蓄積したものを糧に何か「立つべき」である。そこでは迷って結構。しかし、40代で迷っているのは古人も言っているようにいけないことなのだ。不幸なことなのだ。それは様々な考察のもと、明らかなことである。

こういうような感じなんだけど、実に納得がいくというか、身につまされるというか、40代をどのように迎えるかについて厳粛とさせられ、実に考えさせられたのである。わたしはこの言葉と、塩野七生さんのこのエッセーを決して忘れることができないだろう。決して忘れてはならないだろう。──詳細はこの本を読んで欲しいが、特に30代の男性に読んで欲しいが、このエッセーの最後はこう締めくくられる。


「神さまに抵抗を感ずる人も、こう言えば賛成してくれるだろう。人は、不幸な人には同情はしても、愛し、協力を惜しまないのは、幸運に恵まれた人に対してである、ということには。」


PS
塩野七生はすごい人である。ちなみに、ハンドバッグが女性にとって命みたいなものであることもこの本で知った。すごい女性だ。

London - とても重要なページが抜けていた。ロンドンでの最大のトラブルについて(Day4)

ブログを見返すと、アップしていたつもりのページがなくなっていた。「ビールの燃料補給のもと、最後のロンドンを歩き回る。もう足は棒ならぬエンジンだった(Day3) 」と「こうなったら観光しかない! 自然史博物館やヴィクトリア&アルバート博物館を巡る(Day4) 」の間に以下のページがあるはずだった。

「London - ロンドン旅行史上最大のトラブル。ヒースロー空港で追い返される(Day4)」


よってここで差し替える。要はですね、意気揚々と3泊目のホテルから帰国するためにヒースロー空港に向かったわけなんですが、チケットを係りの人に見せると、予期せぬ言葉が返ってきて2度ほど"Sorry?"と聞き返してしまった。

よくよく話を聞いてみると、チケットの日付が今日ではないとのこと。確かに今日は4/15(土)でチケットは4/16(日)となっていた。時差の関係で、成田に日曜日に着くにはヒースローを土曜日には発たなければならない。航空券を予約するとき当然4/15(土)でオーダーしていたはずだが・・・。

ヴァージンのヘルプデスクに行き、日付変更の手続きをしようとする。しかし! どうやら簡単ではないらしい。責任者のような人が出てきてわたしに「このチケットは日付を今日にすることはできません」という説明をする。"I'll do my best."とは言わなかったが"Is it impossible?"とは聞いた気がする。

どうやらホント無理みたい。最後は電話越しに日本語を話すおそらくHISの人と話して、いくら追加料金を払っても日付変更はできなく、どうしても今日発ちたいのであれば、新しくチケットを買うしかないとのこと。"Oh my god!" わたしは心の中でこう叫び、ある決断をした。新しいチケットを買うことは、金額の大小に関係なく、今回のたびの主旨から大きく外れてしまうことを意味した。

わたしは延泊を決意し、ヴァージンのスタッフに"I'll call home."と捨て台詞(?)を残し、上司の留守電に国際電話で伝言を残し、かつ、同僚にインターネット・カフェから状況の説明を英語で(なぜなら海外のPCでは日本語は入力できない)した。大いに驚き、そして疲れたが、これが運命なのかもしれなかった。わたしはやるしかなかった。


以上

Monday, April 24, 2006

London - ロンドンまとめ① 「信号無視と信号について」

昨日やっと旅行記をまとめ終わったから、これから全7回の予定でロンドンで感じた思想的なことを書いていこうと思う。わたしは観光ではなく視察で、金額の大小に関係なく本質を、無難よりは失敗を求めてロンドンに旅したのだ。

まず第一回目として、まあどうでもいいことなんだけど、ロンドンっ子たちの信号に関する哲学と信号そのものに対する考察を行ったのでそれを書こうと思う。たかが信号、されど信号。民族のその信号に対する態度と行動からその民族の本質を抉り出すことがもしかしたらできるかもしれない。


(※街中の車両向け信号。歩行者向けのは撮り忘れた。ま、そっちのは普通)


まず驚いたのは、車両向けの信号機において、赤と黄色が同時に点灯することがあるということだ。赤から青へ変わる際に、その過渡期の状態として赤がついたまま黄色が点灯するのだ。この状態になると、横断歩道を渡っている歩行者がいない場合、車は走り出す。ものすごい勢いで。

これは歩行者にとって気をつけないと結構危ない。というのは、歩行者用の信号が点滅状態の青のときでも、車が走り出すからだ。慣れないときに急いで横断歩道を渡ろうとすると車に引かれる可能性が結構高い。そういう人を何人か見かけた。


(※かすれているけど"LOOK LEFT"(左を見よ)ね)


そして信号無視はニューヨークと同じく常態化している。しかし、ニューヨークほどには徹底されていない。よって、信号無視する人につられて思わず横断歩道を渡ってしまう人が危うく車に引かれてしまう可能性も高い(ニューヨークの場合はほぼすべての人が信号を無視する人だから、そのようなことはあまり発生しない)。実際、お年を召した方がバイクに引かれそうになっているのを見た。

上の写真にあるように、すべての横断歩道の手前には"LOOK LEFT"(左を見よ)か"LOOK RIGHT"(右を見よ)の文字が地面に書かれている。ロンドンの道路は複雑に入り組んでいるからこの文字を見落としてしまうと、人々は信号を無視するから、反対の方を見て逆から来る車に引かれそうになるなんてことが起きかねない。

さて総括すると、信号を律儀に守る民族は世界広しといっても日本人くらいだろう、わたしの見たところによると。この結論はその民族性に対する深い洞察につながらないことは既にわたしの中でもわかりつつあるが、同じ信号でも各国各様であることがなんとなく面白かった。わたしはといえば、影響されたわけじゃないが信号無視がデフォルト(既定の動作)になった。周りの人が勘違いして渡ってしまわないように気をつけている。


以上

London - 「旅の終わり」

London Baby!編はこれで終わりです。おそらく6月か7月にChina編がはじまるでしょう。ロンドンはホント素晴らしかったんだぜー! London Baby!

London - 「ロンドンの素晴らしさについて」

ロンドンは成熟の街だった。わたしがみたほとんどの人々はUKおよびヨーロッパ各地からの観光客だったのかもしれないけど、彼らの有様は多様で、かつ洗練されていた。

ニューヨークのときは、何かギスギスした感を否めなかった。サラダ・ボールな感じがして、それはそれでいいんだろうけど、ネガティブな印象を持ったものだ。

経済的な事象については今ここで語るまい。イングランドの経済成長性についてもここで語るまい。しかしわたしはヨーロッパの国々及びその国民が、どのような意識で、どのような観点で世の中を見つめているかをわかったような気がした。このことが、わたしのこの旅の最大の成果だ。

わたしはロンドンの街並みを観察した。ダウンタウンな街の有様も観察した。わたしはUK上の地図のある2点に認識の針を刺し、そしてそれらとNYCのものとの比較でもって、わたしは新たな何らかの見通しを世界に対して持つであろう。ヨーロッパにはいずれまた戻る。


I'll come back to London or something. Yes.

London - わたしの旅はいよいよ今度こそ終わり、成田にてロンドンへの郷愁に浸る(Day5-6)

既にわたしのチケットの日付は間違っていない。わたしはまがうことなく今日、日本に帰るのだ。昨日と同じ手順で持ってヒースロー空港にわたしは向かい、同じようにわたしのチケットをスタッフに手渡す。今日は無事にチェックインが済まされたようだ。Tokyo行きの便に向かう。明日にはわたしは東京に存在し、今回のたびの総括を行っていることだろう。




しかしなんと旅は素晴らしいことか。しかしなんと旅はわたしに新たな啓示を与えてくれるものか。英語学習のためだけじゃない。経済状況視察のためだけじゃない。ましてや歴史学上の問題だけではない。 なんて素晴らしいことなんだ世界を知ることは。世界を知ったつもりでいて、日本を嫌いになりかけていて、でも、素晴らしい世界を知ることで日本を見直したりして、ただ日本にも足りない部分があるということがより現実的にわかったりして、なんて世界をみることは素晴らしいことか。




わたしは2006年4月17日9時10分に成田空港に到着し、そして会社に向かった。旅はおわった。

Sunday, April 23, 2006

London - こうなったら観光しかない! 自然史博物館やヴィクトリア&アルバート博物館を巡る(Day4)

覚悟を決めてCity of Londonに戻る。インターネット・カフェで当日格安宿を予約し(なぜか今回はインターネットを活用することにした。そしたら当日だと普段の半額くらいで予約できることを知った)、まだ見ていなかったNational History MuseumやVictoria & Albert Museumを見て回ることにした。




ホテルもいいところを見つけたと思ったんだけど、昨日泊まったホテルには及ばない。要は金額の大小ではないのだ。金額の大小ではなく、精神的な豊かさであったり、運命的な出会いだったりするのだホテルとの出会いは。それを強く感じた。じゃあホテルはさておき、夜の街に繰り出そう。バーやそれに類するところに行ってみることにするぞ。

ホテルの場所はパーディントンの近くだったんだけど、そこから北にぐるっと回って、ノッティング・ヒルに再び顔を出したりした。ノッティング・ヒルが高級住宅地であるという雰囲気がわかったような気がした。一人だと、本格的なレストランのような場所に入りづらいということは既にわかっていた。そりゃそうさ。レストランとは2人以上の顧客に満足を与えるように設計されているんだから。そこで、いよいよガストロ・パブに入ってみることにする。




(※フィッシュ&チップスと並ぶソーセージ&マッシュね)


うまい。ビールもうまい。ま、ただ、それらはスペシャルではないこともわたしは知っていた。わたしの舌は実に広範なものをうまいと感じるが、やはり上級なものを上級と感じざるを得ない感覚を持ち合わせもしたりしているのだ。しかし店の雰囲気はよく、わたしは1時間ばかりこの店にいた。 最後にいい店を知りえたものだ。

London - ビールの燃料補給のもと、最後のロンドンを歩き回る。もう足は棒ならぬエンジンだった(Day3)



ここがそのビールを買ったパブなんだけど、次もう一度ロンドンに行ったときには必ず寄るね。実は東京に戻ってきた後、ガストロ・パブを謳う店に行ってみたんだけど、ビールのうまさは比べようもなかった。ここでは、すべてが洗練されていた。


(※ロンドンっ子、ないしはヨーロピアンが集う広場の図)


夜は、、、なぜかマクドナルドでハンバーガーを買い、ホテルの部屋で一人食べた。まあ、旅行記を書きたかったということもあった。 明日はB&B(ベッド&ブレックファースト)の朝食を食べて、ヒースローから日本に帰ろう。哲学的にも、旅行的にも、何の文句もない素晴らしい旅だった。


PS
ページが抜けていたので挿入します。
「London - ロンドン史上最大のトラブル。ヒースロー空港で華やかな気分が一気に逆転される(Day4)」
http://haruy02.blogspot.com/2006/04/london-day4_25.html

London - ビールを飲み、そして陽光のもと、ロンドンの素晴らしさを知る(Day3)

いいガストロ・パブやレストランを探していたんだけど、なかなか入りづらかったり、気分が乗らなかったりしたからブラブラしていたら、小さな広場があって、そこで陽光の中、みんながビールを飲んでいた。俺も飲むしかなかった。


とても気持ちが良くて、そしてビールがとてもおいしくて、普段黒ビールなんて飲まないんだけど、ギネスをオーダーしたりなんかした。これもとてもグッド。値段は高くなくて、普通のビールで2ポンド少々。ギネスだと2ポンド80ペンスかな。1パイントで(1パイントは約570ml)。天気は最高だった。

blog - 今日は英会話に行ってきた

去年暮れから、友人と一緒に英会話レッスンを受けている。いわゆる英会話学校じゃなくて、フリーランスなネイティブの人と週に一回のペースで都内某所のデニーズで英会話を楽しんでいる。

今日はわたし一人になってしまって、その先生とマン・ツー・マンで会話してきた。いやー、その先生はわたしの母校に留学しているうら若き女性なんだけど、とても頭がいい人で、回数を重ねるごとに面白さが増してきているような気がする。

いや、別に女性だからというのじゃなく!、当時TOEICの賭けで負けたわたしはフリーランスな先生をインターネットで探さなければならなかったんだけど、あるサイトで、2人分のEメールアドレスを3,000円でもらえるようなものがあって、男性と女性それぞれにレッスンを受けてみた。

今思えば彼女と出会えたのは奇跡的で、1時間2,000円であれほど価値があるレッスンを受けられるんだから実にいい選択だった。英会話に興味がある人は是非声をかけてください。グループレッスンになれば一人当たりのコストは安くなるから歓迎です。

今日は、confidantとconfident、formerlyとformallyを聞き間違えたり散々だったけど、というかわたしのスピーキングの遅さにはホント絶望するけど、こういう積み重ねを1つ1つやっていけばきっといつか日は昇るのでしょう。そしてこういうレッスンは課題志向が重要で、漫然とレッスンを受けるのではなく、今日はいろいろな副詞を使ってみようだとか、この文法を使ってみようなどという心構えが重要なのだと思う。


Let's enjoy English!

Saturday, April 22, 2006

London - いざ出陣!テムズ河を渡り、そして戻り、セントポール大聖堂で歓喜の歌を聴く!(Day3)



これ、ロンドン塔。中に入ることもできたが、やめておく。入場料が取られるらしいが、いや、お金がどうのこうのではなく、わたしは先を急がねばならない。さあ、じっくり英語舌を鍛えた成果をみせようと、外人に話しかける。"Would you take a photo for me?"





イギリス人だと思われたに違いない。「代わりに俺たちの写真も撮ってくれよ。」とフルスピードでまくし立てられる。撮ってあげたさ。そしてタワー・ブリッジを渡るときにインド人カップルが自分たちで写真を撮ろうとしているのを"May I help you?"的な視線で見る。撮ってあげたさ。そしたら代わりに撮られたさ。




徐々にテンションが高まる。そのままタワー・ブリッジを渡り、対岸を歩き、ロンドン橋を渡ってこちら側に戻ってきた。セント・ポール大聖堂を見るためだ。




St. Paul's Cathedralは何かの工事を行っていて、トラファルガーもそうだったけど、観光客にとっては残念な時期だったに違いない。観光客ではないわたしはそんなことを意にも介さず、中をちょっと覗いてみたり、Cathedralの前の階段で足を休めたりしていた。 そしたら来たよ!




わたしは自然が奏でる歓喜の歌を聴いた。晴れるとやっぱりいいし、何ともいえぬ精神的な盛り上がりを感じた。わたしは天候などに左右されぬ強靭な意志をすでに今日身につけていたが、これに勢いを得てロンドン全域制覇をやってやろうじゃないか。世界には、まだまだ見るべきところがたくさんあるのだ。

London - ロンドンの北東部でしばし沈む。わたしの自由に羽ばたくその翼は、今にも引きちぎれそうだった(Day3)

リバプール駅に到着し、さらに北東を目指す。うまいベーグル屋がある。途中で写真をとる。どんな街にも、汚いところはある。




そのうまいベーグル屋はなかった。Brick Lane Beigel Bakeといって評判の店なんだけど、って地球の歩き方に書いてあったんだけど、工事中か何かだった。今日はとことんダメだな。 しょうがないから南に転じて、ロンドン塔とタワーブリッジを見に行こうか。すると雨脚が途端に強くなってきた。こりゃ傘か何かを買わないとダメだ。小走りで傘を捜しながら歩いていると、こじゃれたコーヒー・ショップがあった。そこに入った。




コーヒーを飲みながらどうしようかなって考える。 あわてちゃダメだ。旅にトラブルは付き物だ。そんなの人生と同じだ。大事なことは、そのような状況の中でも、正しい、平静な心を見失わず、より適切なアクションを取れるかどうかだ。そのような能力を身につけているかどうかだ。ということで英語の勉強でもすることにする。雨が降っていても、店が閉まっていても、わたしには英語という武器がある。

London - リヴァプールの1つ手前のBank St.で降り、驚愕の事実を知る。今日は金曜日です(Day3)

直接リヴァプールまで行こうと思っていたんだけど、地図をみているとその手前はBankという駅で、そこで降りるとイングランド銀行なり証券取引所なりがみられることに気づいた。世界を股にかける大投資家ないしはビジネスマンであるわたしとしては、見る価値が大いにありそうだった。

そこで降りて、その前からうすうすは感じていたんだけど、わたしのこの旅に大きなネガティブ・インパクトを与えるであろう衝撃の事実を知るにいたった。要は、いやたいしたことはないんだけど、今日は祝日なのです。Good Friday(グッド・フライデー、聖金曜)といってイースターとも関係するらしんだけど、National Holidayなわけです。

もう8時くらいだったはずなんだけど、イングランド銀行そして証券取引所の周りには人っ子一人いない。ニューヨークのとき、ウォール街そしてNY証券取引所のあたりを闊歩するビジネスパーソンにある種の感動をいただいたわたしとしては、大いに寂しいことであった。そして店も閉まるしまる。中心街はそうでもなかったけど、少し外れるとほとんどの店が閉店だった。おかげで餓死するところだった(うそ)。

London - ほぼ最終日である3日目スタート。よもやの雨に悩まされる(Day3)

最終日である4日目は13:00に飛行機出発だから、実質的なロンドン最終日はこの日なわけです。計画では、まだ見ていない場所をすべて踏破するつもりで、まずTubeで最東端リヴァプールまで行き、Shoreditch地区を散策し、そこでロンドン一のベーグルを食べ、一転南下、Tower of LondonとTower Bridgeなどを観て回る。

ところが、ホテルから出てみると、小雨が降っていた。海外では初めて雨だ。傘など持っていない。まあなくても大丈夫なくらいほとんど降っていないから、とりあえずSouth Kensington Stationに急ごう。




今までの2日、ぶっちゃけいいことがなかったし、テンションもそんなに上がらなかった。3日目も、あいにくの雨模様だ。London失敗の雰囲気が漂い始めていた。強引に渡英し、ヨーロッパ文化を極めてやろうと意気込んできたこのLondon。わたしは負けるのか?

London - 2泊目のホテルで、極めて強い緊張を感じるの続き(Day2-3)

会社に行こうと思っていたけど、やーめよ。わたしは1つのことをやり始めるとなかなか他に気が回らなくなる。もう少しバランスを持たなくてはとは感じているが、まあ逆に言えば実直で誠実な男ということになるわけか。ふーむ。

さて!、要は2日目のホテルはですね、Shared Roomで、いろんな旅行者が1つの部屋に泊まるんですが、当然ですね、男性かそれに類する人が泊まりにくると思っていたわけです。それで、そこで起きるであろういろいろな会話や出来事を、主に英語の勉強と見識の拡充のためにこのような部屋をあらかじめ予約していたわけです。

ところが!、ミュージカルでの大きな挫折の後、しょんぼりホテルに戻って、誰もいない7人部屋で一人ストレッチしたあと、誰も帰ってこねーなーと思いながら、もう寝ちゃったわけです。11時か12時だったと思います。

そして!、夜中、「ガチャ」とか「ゴソゴソ」という音で目が覚めると、どうやら他の宿泊客が戻ってきたようです。2時か3時だったかな。夜中に起こされるとまあテンション低いわけで、会話を始めるなんていざ知らず、Shared Roomはデメリットも大きいなと感じていたわけです。

そして驚いたことに!、宿泊客同士の会話が聞こえてきたのですが、どうやら女同士の会話なようだったのです。「えっ!?」、とわたしは思いました。そして体が金縛りにあったように身動きがとれなくなりました。ヨーロッパではこのような状況も生まれうるのか。少し関心しましたが、確かに欧米では男女の垣根があまりないように感じられはします。男と女の同居人なんてドラマで頻出するからね。

でもわたしは参ってしまったよ。会話を始めるなんて思いも及ばず、もうすぐ寝た。朝もみんなが寝静まっているときにコソコソと起き出し、おー、みんな女性じゃんとか思いつつ(結局わたしを入れて6人くらいだった)、シャワーも浴びず、チェックアウトを済ませ、3日目ゴーゴーです。


Shared Roomはホントにお金が惜しいとき以外行くものじゃないと思った。以上

Wednesday, April 19, 2006

blog - United 93(2)

ロンドンへの追憶は、その合間に見たYahoo!Newsの記事からのこのUnited 93で途絶えてしまった。人はいかに生きるべきか。そんなことを、いい年して考え込んでしまった。

わたしはあらゆる難題に対して、あらゆる困難な状況の中でも、成すべきことを成す人間でありたい。人間は漸進的に成長する。正しい方向性と、正しい努力の積み重ねがあれば、人はその人の欠点を超え、Funnyさとシリアルさを持ちえることができる。

http://www.united93.jp/top.html


レッツ・ロール

blog - United 93

これはみなければならない。予告編をみただけでも凄まじい衝撃を、わたしに与える。

http://movies.yahoo.com/shop?d=hv&cf=info&id=1809273193


人はどう生きるべきか

グラウンド・ゼロ

London - 2泊目のホテルで、極めて強い緊張を感じる。そう、わたしはいてはいけないところに来ていたのだ(Day2)

(つづく)

London - ミュージカルの夜。わたしは睡魔と猛烈に闘い、それに完全に負ける(Day2)

負けちゃった。


酒も飲まず、ただひたすらミュージカルを理解したい一心で望んだこのレ・ミゼラブル。ストーリーもわかっていて、ニューヨークでの衝撃から英語の学習も続けていた。気合も入っていた。席は最後列に近く舞台の上の方はかがまないと観れないほど最低の席だったけど、「ミュージカル全然わからなかったよ」を打破するべく、わたしは周到な準備を怠らなかったはずだった。しかし結果惨敗。

確かにわかるところはわかる。ニューヨークでは何を言っているのかほとんどわからなかったんだけど、ここロンドンではあらすじを知っているということもあり、歌詞も大体とは言えないけど少しぐらいはわかった。でも、、、睡魔がわたしを襲ってきたんだ。(両隣がアジア系の方だったというのも影響しているかもしれない。要は刺激が低減された形になったのだ)。

休憩を挟み、ミュージカルはフィナーレを迎える。ストーリーは原作を大いに省いていた。この物語はジャン・バルジャンが亡くなるときの彼の今までの隠された様々な貢献や誠実さが娘とその夫に明らかになるところが最も素晴らしい場面なんだけど、もしかしたらそういった要素があったのかもしれないけど、それは感じられなかった。

場内、スタンディング・オペーション!


徐々にみんな立って拍手をしていく。わたしの両隣のアジア系の人たちも立ち上がった。場内のボルテージは頂点に達し、人々はみな満足しているようだった。「ブラボー!」「ヒューヒュー!」(口笛)といった掛け声がかけられ、出演者の次々の挨拶の中、みんなホント興奮していた。そう、わたしだけが、居眠りしすぎた引け目の中で、膝の上で小さく拍手をした。-- 2年後リベンジ。

London - 2泊目のホテル、そしてリベンジ・ミュージカルへ(Day2)

2泊目のホテルは大体こんな感じ。




まあベッドが7つある。人はまだ誰もいない。セキュリティーが気になったが、リュックは置いていかざるを得ない。大きすぎてロッカーに入らない。で、どこに行くか?ミュージカルを観に行くのである。「レ・ミゼラブル」である。




ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は学生時代に読んでいた。誠実の男、ジャン・バルジャンの生涯を描いた物語だ。不運と成功と挫折を克明に描写し、幾重にも渡る伏線の後、衝撃のラストを迎える。海外文学の中で最も好きな小説のうち1つだ。数年前に映画化されたものを見たが、あまりに表層的な作り方にがっかりしたことがあった。さて、ミュージカルはどうか。期待は高まる。

ちなみにジャケットに着替えた。




しかしこのジャケットはどうだったのかなあ。とりあえずノースウェストの靴との相性はものすごく合っていないような気がした。気がしたどころか、実際最悪だった。ま、気を取り直してMusical Go! Go!

席、すんごく悪かった。実は昼ごろに半額ショップだと思っていたチケット屋でチケットを購入していて、44ポンドの席しかないと言われてしょうがないからそれを買っておいた。さぞかしいい席なのだろうと思っていた。というのはニューヨークのときは5千円くらいで、今回その倍くらいだったからだ。高い買い物には通常高い価値がついてくる。まあ気合を入れて観ることにする。

London - フィッシュ・アンド・チップス、うん、Fish & Chips(Day2)

今回の旅の主要な目的の一つはフィッシュ&チップスを食することだった。まあ厳密にいうとフィッシュ&チップスを通じてロンドンおよびヨーロッパ世界の食文化を認知し、世界に対する認識をより深めるためだ。うーん。

で、Rock & Sole Plaiceのフィッシュ&チップス。




うまい。まあまあうまい。魚が揚げてあって、フライドポテトが添えられている。Codという魚。うん、フィッシュとポテト。確かにフィッシュとポテト。うーん。(イギリス人はビネガーをたっぷりかけてこれを食べるが、隣の人もそうしていたが、なかなかその真髄に到達するまでにはいたらなかった)。

もう3時くらいだ。次のホテルへチェック・インを急ごう。今回ホテルは2泊分事前にインターネットで予約しておいた。ニューヨークでは1泊分だったけど、なぜ2泊分にしたかというと、Shared Roomという形式がロンドンにはあって、それはベッドが7、8つある部屋のことなんだけど、世界各国の旅人たちと接触するのも悪くあるまいと思ってこのAcacia Hotelを予約することにした。




起きるであろう英語的な会話にドキドキしていた。

London - British Museum、ま、大英博物館ね(Day2)

今回は旅の目的は博物館や美術鑑賞ではなく、すなわち観光ではなく、よってそこに集う人々の様子を視察してすぐに去ろうと思っていたけど、よく見てみたら入場料タダなんだね大英博物館って。よって、金額の大小に関係なく、ちょっと寄ってみようか。

まあアモイとかミイラとかがいる。




(※ミイラはこれ、本物らしいね。すごい人だかりだった)


エリアが地域や題材によって分かれていて、アジア・フロア(日本もあった)、エジプト・フロア、お金の歴史フロアなどがあった。古代ローマ・フロアがわたしの強く興味を引いた。そう、わたしは大の古代ローマファン。さっそく彫像を写す。




ローマにもいずれ行く。しかしそれは観光のためだろうから、新婚旅行かそれに類する何らかの旅で行くことになるであろう。古代ローマの偉大な英雄たちと民族に思いを馳せ、フィレンツェの芸術と成熟を鑑賞し、そしてイタリア・ワインとピッツァを楽しむことになるだろう。

さて、思わず博物館見学に時間をとってしまったが、わたしは先を急がなければならない。なぜならお腹が少し減りはじめてきていたからだ。『地球の歩き方』に載っていたフィッシュ&チップス、ロンドンナンバー・ワンを目指すことにする。

London - ハイド・パークを抜け、そしてデパート街をキョロキョロしながら、そして大英博物館に到着する(Day2)

繰り返しになるが、ハイド・パークはきれいだ。白鳥もいる。花も咲く。






デパートといえば1日目にも有名なハロッズというデパートに顔を出した。この辺はニューヨークのときに感じたのと同じで、六本木ヒルズや表参道ヒルズというのではなく、まあ普通な感じだ。まあ外観は趣ばっちり。




そして大英博物館へ。途中でPRET A MANGERでサンドイッチを食べた。サンドイッチとジュースで千円くらいした。ロンドンの物価水準は驚異的だ(※詳しくは「London the 食文化」で述べる)。

London - ホームシック?からケンジントン宮殿まで(Day2)

まだロンドンを掴めずにいた。7時くらいまでぐっすり眠り、そして10時のチェックアウトまでルート計画と英語の勉強を行う。ここで負けてはならない。わたしは前に進まなければならない。

さー、出発。とりあえず大英博物館を目指して歩いていこう!


City of London西端のノッティング・ヒル(1泊目のホテルの場所)から中心地の大英博物館までハイド・パークの脇を通りながら、そして街並みを眺めながら進んでいくことにする。その途中、故ダイアナ元妃が暮らしていた場所として有名なケンジントン宮殿を見てみることにする。まあ歴史と建築の勉強ってわけ。

ハイド・パーク再び。




そしておもむろに靴を映してみる。




ノースウェストのスニーカーだ。新しいのを買おうと思ったけど(青いストライプが入ったトレイル・ラン用のすごいやつ)、時間がなかったし、旅に万全を期すため、10年来のつきあいのこいつで行くことにした。もう1万キロは走っていると思う。(今回のたびのもう一つの目的はスニーカーの威力を確かめることなのです)。

で、ケンジントン宮殿。この人はホントに綺麗だなー。


(※入り口に飾られていたポスター)


ケンジントン宮殿はこんな感じ。入城は入場料が10ポンド以上したんで、金額の大小ではなく、なんとなくやめる。 大英博物館がわたしを求めている。うん。

Tuesday, April 18, 2006

London - 「旅の目的 - 視察について」

旅の主な目的は「視察」なわけです。旅シリーズも2回目を数え、だんだんとそのコツを掴んできたように思う。

x軸とy軸からなる平面座標に2つの点を置くことができれば、そこに明確な直線を描き出すことができるのです。それと同じように、その国とその国民について様々な視点から何らかの観点をいくつか引き出すことができれば、それらに対しての理解が格段と深まるわけです。そうしてそのような理解を世界各所において導き出していけば、世界全体、そしてわたし自身の脳の中にわたしは明確な認識を持つに至るわけです。

投資は1つの現実的な目的にしか過ぎず、旅の真の目的はこの世界、社会、人間性、そして自分の可能性というものに対して最大の未来を描き出すことなのです。ニューヨークのあらゆるところ、ロンドンのあらゆるところを徒歩にて見て回ったその経験は、直接的で現実的なメリットをわたしに与えるわけではないけれど、間接的で曖昧とはしているけれど、何かの幅広い空間をわたしに対して与えてくれるのです。だから旅は素晴らしいのです。

そしてわたしが今回のシリーズを思いつくに至った本当の理由は、今やっているフリーの英会話の先生との会話の中で「I don't like to travel.」と話した後の彼女からの問いかけと、わたしの内面での何らかの化学反応の結果からきているわけです。「枠を飛び越えよ!」というような声がどこかから聞こえてきたわけです。固定概念を打ち破り、新しい知見を得、さらなる人生を獲得する機会を目の前にしての、その境界線を飛び越える運動の結果として今の活動があるわけです。

今年、少なくとも中国とインドには行くでしょう。そして旅行に限らず、境界を飛び越える様々なアクションをとっていくことでしょう。肉体的にも精神的にも、そして金銭的にも準備は整いつくすほど整っている。あの2年間の菜食生活で垣間見た神秘体験、診断士試験合格の際に垣間見れた人間の可能性、そういったものを何か他のものに対してぶつけていくでしょう。何か大きな、いや、何か幸福感に包まれる何らかのことに対してわたしは夢を活動していくでしょう。目の前の大きな青い鳥。意志は明確で、その歩みはたぶん強固。


Good job!

London - 夜のコヴェント、夜のトラファルガーをゆく(Day1)

CoventはニューヨークでいうとTimes Squareにあたるのかな?まあ繁華街だ。






これまた有名なトラファルガー広場でしばし足を休める。有名な塔とライオン像は工事中だったよ。 それにしても人通りが少ない感じ。水曜だからか?




今日はなぜだかテンションが低い。時差とほとんど寝ていないことが関係しているのだろう。ホテルに戻って早く寝るか。そして寂しくコンビニっぽいところでビールとおつまみを買いホテルで速攻寝てしまうことになった。明日はどうするかな?全域踏破を目指しつつ大英博物館をとりあえず目指そうか。

London - ビックベン(Day1)

ビックベンです。世界一有名な時計台といわれている時計台です。7時です。




のどが渇き、腹が減ってしまった。レストランって気分ではなく、コンビニっぽいところでサンドイッチっぽいものとフルーツ・ジュースを買い、腹に流し込む。 どうでもいいことだがロンドンっ子はサンドイッチが多分かなり好きだ。店はサンドイッチだらけだ。大抵500円くらいする。日本の倍だ。

さて、次どうしようか。しばし迷う。ここで事前の準備不足が露呈した。いいルートを描けない。ニューヨークのときはルートがすぐに頭に浮かんだ。山登りみたいだが確かに今回の一連の旅は山登りみたいなものだ。ルート設定の巧拙が旅の成否を大きく左右する。んじゃ、まだ明るいから北へ向かおう。トラファルガー・スクエア?

London - 1日目の続き。バッキンガム宮殿を去り、ビックベンへ(Day1)

バッキンガム宮殿では11:30から衛兵交替というイベントがあり、例の有名な光景が見れる。でもこの1日目はヒースローに15:00くらいについたから、まあ今回見ることはないでしょう。それでいいのだ。

昨日は飲んで帰ったからブログの書き方が雑だった。少しおさらいをしよう。成田空港には9時前につき、搭乗口前で例のごとく英語の勉強をしようとしたけどほとんど寝た。11:00に成田を発ち、先ほど述べたように12時間弱の飛行の後15:30にヒースロー空港に着いた。

機内では旅のおきて第5条に従い一切のアルコール飲料を摂取せず、英会話の勉強に努めたが、オンデマンドで観る映画が結構面白く、ここでも少しおろそかになってしまった。なお、今回の旅行に持っていった本はガイド以外に以下の通りである。

・『The Sorrows of Young Werther』 - 朗読用。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』ね。
・『MONEY MASTERS OF OUR TIME』 - 読書用。プライスだとかバフェットが出てくる。投資本ね。
・『英会話なるほどフレーズ100』 - 勉強用。少し恥ずかしかったが、英会話のウォーミングアップには最適な可能性が高い。


さて、それはそうと、入国審査のやり取りは想像以上にタフです。審査官にいろいろと質問されるんだけど、ニューヨークでもそうだったけれど、彼らのつっこみは激しいわけです。ツアーじゃなく一人旅だし、怪しくみようと思えばみえるわけで、情け容赦なく英語でがんがん質問してくるわけです。

今回のやり取りはこんな感じだった。

審査官:「目的は?」

わたし:"For sightseeing." - 本当は観光ではないのだが、わざわざことを荒立てることもあるまい


審査官:「どこ行くの?」

わたし:"London."


審査官:「ロンドンのどこ行くの?」

わたし:"Ummm. Big Ben, sir."


審査官:「5日間でしょ?他のところにも行くんじゃない?」

わたし:"Ummm. British Museum?"


とかいう具合にこんな返答しかできない俺も俺だけど、実にあたふたしてしまうわけです。まったく英語できない人はどうするんだろう?ま、今思えば英語学習という点では貴重な経験なわけです。ま、しかし、わたしの英語力はビジネス・インタビューを受けられるレベルには到底達していない。涙。

なお、JFKでは「日本で何やってんの?」「ふーん、どんな会社?」みたいなことも聞かれた。次は完璧を期するぞ。さて、旅の経過に戻ろう。ビックベン(国会議事堂)に向かう途中にも公園は続き(グリーン・パーク)、美しい光景が続いた。




なお、桜が所々に咲いていた。

London - 出発に際して

あわただしかった。わたしがロンドンに発つということを知らなかった人も多い。というのは、職場にあまり知られたくなかったというのがあったからだ。なぜなら2ヶ月連続の海外旅行だからだ。上司と相談した結果だからだ。

ということで準備という点では、昨日も書いたがいろいろと不十分なことが多かった。まずロンドンに対する事前調査が足りなかった。NYCのときはまさにいろいろな人から話を聞けた。それによってNYCに対するイメージが事前におぼろげながら掴むことが出来、それによっていろいろと充実した。今回はほとんど話せなかった。

あと英語の問題もあったし、そして何より、このあわただしさが今回最大のトラブルを最終日あたりに発生させることになったのだ!!!(つづく)

London - 「旅の目的」

まあ大体ニューヨークのときと同じです。しかし大きな違いは、ヨーロッパとアメリカの違いを分析すると言うのが目標の1つになっている点です。あとはバーにも行っておきたい。フィッシュ&チップスも食べる。ミュージカルにリベンジする。Tipを正確に渡す。こんなとこか。

London - ブログについて

これからDay1 - Day5までをゆっくり書いていこうと思う。前回寝不足気味になったからホントゆっくりいってみよう。でもまあ1週間くらいで書き上げるよ。

主な議題は以下の通り。

・比較文化論(日本/イギリス、ヨーロッパ/アメリカ)
・国際経済学(ミクロ/マクロ)
・モチベーション理論(テンション/英語)
・他、ビールやフィッシュ & チップスなど


以上

blog - 第121回TOEICテスト結果について

やりましたよ。870点。

Listening 435
Reading 435

Total 870


今回はAレベルのしきい値である860点を目標にしていたけど、久々の目標クリア!ガッツポーズが自然に出る。こういうのが気持ちいいよね人生は。なお、ちなみに今までの最高点は795点。次回は900いくと思う。だってLondon行ったし毎日勉強してるんだもん。以上

London - 往復航空券について

HISで6万5千円で買いました。

(ま、ただ税金だとか追加燃料料金だとかで8万5千円くらいにはなった。)

NYCは3万8千円だった。その差は何かというと、現時点では、ユナイテッド航空とバージン・アトランティック航空のレベルの差だと言わざるを得ない。ちょうど同じくらいの飛行時間だしね。本数も少ないけど。

London - 服について

いや、服はさ、動きやすさと明るい色で犯罪予防と攻撃力アップを目指していたわけです。さすがにNYCと同じではまずいといろいろ活動はしましたが、最近少し、服というものに興味が、、うすれつつあるのです。しかし、、さすがにまずいので、次回はもっとお洒落に行こうと思います。失礼しました。

London - 「ヨーロッパの成熟性について」

ロンドンを旅して、ホントよかったんだ。NYCでは知ることができなかった部分の西洋文化に対しての認識を実に深くすることができた。

ロンドンは成熟していた。人々はより規律だっており、親切さにあふれだっていた。街には教会が隣接していた。テムズ河には橋が何本もかかっていた。

NYCと違う西洋文化を見てみたい、というわたしの欲求はかなえられた。存分に見てとれた。ロンドンにはあらゆるヨーロッパの国々からの旅行者が来ていた。その人々をわたしは眺めた。

今でも思い出す、あの夕日を。人々の活動を。ホテルの古っぽいけど洗練された有様を。わたしは思い出す。あのビールのうまさを。その安さを。それに対しての地下鉄初乗り600円という高さを。


ロンドンは素晴らしかった。

London - 宿に荷物を置こう、そしてロンドンのあらゆるところをみてやるんだ(Day1)

1日目のホテルは可もなく不可もなくだ。まあ、レセプションの人の態度の横柄さにはNYCを思い出させたが、まあ、部屋にはバスもトイレもついている。リュックを置いて、ロンドンの第一日目を楽しもうか。


(※この旅行後、わたしはホテル選びの真髄を知ることになる)


もういっちゃうよ、ビックベン(有名な時計台)やロンドンの核心を早々に攻めてやるぜ、ハイドパークを横断しながら。そしてその途中でバッキンガム宮殿を見ちゃったよ。

London - ロンドンは成熟の街だ(Day1)

まず思ったのは、ロンドンは古いっていうこと。歴史があるから当然古い。街が古い。建物が古い。

でもそれは悪い意味じゃなく、古き良き時代を何らかの形で継続してきて今のロンドンがあるのだと思った。ロンドンのあのタクシーしかり、信号と歩道しかり。




ハイドパークに早速侵入した。NYCでいうセントラル・パークだね。綺麗だ。ヨーロピアンだ。こういう雰囲気は日本にもないしアメリカにも多分ない。ハイドパークに入ったとき、何とも言えぬ気持ち良さを感じたっけ。