Friday, April 28, 2006

London - ロンドンまとめ④ 「金額の大小か、または否か」

そろそろ軸足を英語ブログに置いていきたいから、ロンドンまとめの全7回シリーズも素早く完結させていくことにしよう。TOEICテストにおいてトップ1%、流暢に話せて、滞りなく書けて、哲学的で文学的なことも英語でどんどん言っていけるように早くなりたいのだ。

さて、ロンドンを旅して、実は前からもわかっていたことなんだけど、俺ってケチかって思った。いや、ケチではない。金額と、投資に対しての効果に鋭敏な感覚を持っているだけだ。・・・って同じか。

というのは、旅行ブログで暗黙的に示してきたように、わたしは大英博物館や自然科学博物館の入場料が無料と知るやそこに飛び込んでいったし、ケンジントン宮殿やロンドン塔への入場が入場料を取られると知った時点でそれらへの入場をやめたし、高級なレストランでのディナーよりホテルでのマックを選んできたわけだからだ。

しかしこれについても複雑な複合的な要因があるように思う。有料の宮殿や施設に入らなかったのは本当に先を急いでいたというのがあったし、つまりわたしは観光的な場所より街中のスクエアなどのところに長くいたかったというのがあったし、レストランは前述のように一人で入るところではないから、自然ファストフードや手軽に食事できる場所でお腹を満たしたわけだ。

あの2階建てバスに一度も乗らなかったのはなぜだろう。それは明らかである。わたしは観光の為にロンドンに行ったわけではなかったのだから、バスはバスそのものを楽しむというのではなく単なる移動手段の一つであったし、移動手段であればわたしの強靭な足腰と、3ポンドという異様な値段であったけれどロンドン中を網羅し、より適切に目的地に到達できるTubeというものがあった。

わたしははっきりいって優柔不断である。大抵、何かを決めるときにはコンマ数秒から数十秒の間、その選択に際しての考慮を加える。ただ最近思うことは、これは本質的には優柔不断という種類のものではないということ。つまり比較的長い考慮時間を要するけれど、それは決着がつかない迷いの迷路に迷い込んでいるのではなく、様々なパラメータを与えた上でのその意思決定の複雑な経路を着実にたどっていっている結果に他ならないと。

例えば仕事の会議において、度々、その決定に対してわたしは違和感を覚えた。その違和感を口にすることもあたったし、口にしないこともあった。しかし口にしたところでそれは明確な論理として形成されているわけではないから、口にするしないに関わらず、それはその決定に対して影響を与え得ない。しかし、後日ないしは1時間後、わたしの論理が明確になるにつれて、その決定が誤りであることがはっきりと認識できたわけである。(そしてそれは実際誤りであった)

しかしそれは後の祭りで、仕事上でも、プライベートでも、この認識の遅さに度々自分を責めたものだ。「わたしはあの場でこう発言して、会社をこのように変えるべきであったのだ。」、「わたしはあの時このように行動して、本来あるべきこのような状態にわたしを置くべきであったのだ。」 など。いわゆる後悔で、わたしはこのような状況を改善する必要があった。

今、このようなタイムラグはなくなりつつある。わたしは物事を瞬時に考え、それを発言するという態度を度重なる鍛錬のもと、実現しつつある。だってこういうのはホントもったいないからね。本質を理解する能力がありながら、その能力を発揮できないなんていうことは、行動を重視する実践家にとってはあってはならないことだし、百ます計算で世界記録を樹立したときのような勢いで、わたしはよりバリューを発現していきたいと思っている。

話がロンドンから少し離れたね。要はですね、わたしが街中のジュースの自動販売機の前でしばし考え込んでいるのを見た人は、こう思ってください。こういうときわたしは次のようなことを考えている。インドやアフリカの孤児がどうしているか。菜食は人類の未来的な帰結であると思うが現代はそれから幾程はなれているのか。わたしは今朝何を食べたか。そして夜何を食べるか。というようなことを総合的に考えているのですよ。


随分つまらない投稿になった。明日は早い。

以上

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