Wednesday, December 05, 2007

blog - 再考・待つこと


(※長崎の、海)

待つことができなければ何も手に入らないことは自明になった。わたしは過去、待てない男だった。リフト待ちがいやで、スキーをやめた。渋滞がいやで、運転をやめた。そして待つことがいやで、すべての運命を逃してきた。

待つことは時間と友達になることだった。待つことは未来と手を握り、過去と和解することだった。待つことというそれ自体は一見無価値に思えるその行為は、すべての可能性を生み、すべての不可能性を可能にする第一の行為だった。

待つことでその可能性は最大になるだろう。いや、待つことは可能性の存在すら超越するだろう。わたしは待ち、すべての時間を抱き入れるだろう。この単純な行為のその単純な原理を、わたしは知らなかったとは。この単純な行為のその単純な原理を、知ることができたとは。


もうわたしは待つこと以外、何もしないだろう。

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