Monday, December 18, 2006

blog - The result of the 127th TOEIC test

第127回の結果、インターネットで発表されました。

Listening: 440
Reading: 455

Total: 895


いやー、くやしいですねー。あと5点じゃん、目標の900点まで。

今日はもしかしたら枕が濡れるかもしれませんね、涙で。

いや、まあ手応えは感じている。一応最高得点だし。

さあ、考えよう! 次、1/14(日)のTOEICテストに向けて!


■Aiming For The Perfect戦略
・毎日5時間勉強を継続させる
・休日に10時間くらい勉強する(←今まではぶっちゃけ3、4時間)
・CNNディクテーション、このまま毎日続ける。一人になったとしても。
・アウトプットを強化する。990点をとるためにはこれが絶対条件。
・単語、イディオムをもう一度強化する。単語帳、一冊やる。
・文法は今読んでいる『TOEFL 徹底文法』でOK


まずはListening満点を狙う。それに特化した練習法を以下に上げる。

・Christieに1日2時間のレッスンをお願いする。(←これいいね)
・もう1人の先生にもお願いするか。(日曜1時間)
・ディクテーション用にTOEIC問題集をもう1冊買おう。
・総決算としてディクテーションを今までの3冊(約900問)もう一度やろう(←重要)
・Writingを強化しよう。具体的には1日1英作文(まぐまぐ)、1日1ブログ、1日1Email、1日1コールトラッキング、1日1反省文。
・超名作"The Office"をもう一度借りて観よう。ただしDavidに悪い影響を受けないように!


詳細。

・パート1と3と4に取りこぼしがないように万全を期する。頭をクイックにする。
・問題はパート2。こいつに取りこぼしがないようにするには、今までの倍の量のディクテーションと、完全な繰り返しが必要である。完全な繰り返しが必要である。
・パート2は挨拶みたいなものだ。だから英会話をより多くこなし、会話にこなれなければならない。
・そうだ。いよいよFriendsのディクテーションをはじめようか。(うん、これを土日の課題としよう)
・CNNディクテーションではディクテーション後のシャドーイングを忘れないこと。最低4回はやる。
・イディオムだとか、無生物主語だとかを完全に自分のものにしなければならない。


もう一声!

・つまり会話には様々なバリエーションがある。その全てに通じなければならない。そうしなければリスニングセクションで満点はとれない。
・そしてその全てに通じるにはその全てに通じるような勉強をしなければならない。トレーニングをしなければならない。
・会話において完全にネイティブのように振る舞うことだ。振る舞えることだ。
・基礎力、ウィット、時事、発音、クイックネス。すべてを高い次元に保つことだ。
・そして完全なる自信が必要。そのためには日本にいて海外にいるような経験をすることだ。英会話を週3時間はしよう。
・読む本は全て英語だ。『ローマ人の物語』もちょっと我慢しよう。思考も英語。


Let's do it. Just do it.

Monday, December 11, 2006

China - (最終)チャイナの夢、そして次はインド??


(※ある北京市街の絵)

長い間お付き合いいただきありがとうございました。チャイナ編はこれにて終了です。(トイレについての補足とかはあるかも)。

次は行くとしたらインド・デリーなんだけど、中国を見てひとまず落ち着いた感があります。とりあえず英語をもっと鍛えて、そして足を癒して、次も大きくいきたいと思います。


では、チャイナありがとう。また会う日まで。

China - 北京-会計

会計報告をします。

・格安航空券(往復) ・・・ 33,000円
・追加燃料、税金他 ・・・ 13,000円

・ホテル1泊目 ・・・ 3,641円(事前に日本から予約)
・ホテル2泊目 ・・・ 3,641円(事前に日本から予約)
・ホテル3泊目 ・・・ 399元
・ホテル4泊目 ・・・ 299元

・北京ダック他(2日目ディナー) ・・・ 363元
・羊しゃぶしゃぶ(2日目ディナー) ・・・ 約100元
・他食べ物 ・・・ 180元

・バス代 ・・・ 1元 × 5回 = 5元
・タクシー代 ・・・ 約400元 (空港までの2回分を含む)
・シャトルバス代 ・・・ 16元 × 2回 (空港から市内まで2回)

・おみやげ(自由市場) ・・・ 400元
・おみやげ(市内他) ・・・ 400元
・買い物 ・・・ 258元

※1元 ・・・ 15円


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計: 9万4千円くらい

Sunday, December 10, 2006

China - 北京総決算⑧「そして、大陸的人生について」


(※空港に向かうタクシーから朝日が目に入る)

今までアメリカ、ヨーロッパと、西洋世界を旅してきた。わたしはどこか西洋的なものを持っていると思われたし、アメリカへの憧れがあった。英語を勉強し、それに備えた。

中国は視野には入っていたが、それはその他のBRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、チャイナ)と同様な位置付けだった。世界を見て見聞を広げるということと、投資先を探すためだった。

中国を旅し、中国を感じる。そこには事前に想定していなかったような化学反応が待っていた。わたしは、中国人ではなかったか。わたしは大陸に生まれ、大陸的に育つのではなかったか。

中国人は他人ではなかった。彼らのメンタリティーの奥底までわたしは入り込み、そこで彼らが感じていることを感じ、彼らに危うく取り込まれそうだった。わたしは夢を見ていたのか。

左足が壊れなかったら、もっとわたしは翼を広げ、自由に飛び回っただろう。わたしは次の作戦を練り、それに備えなければならない。わたしの旅の戦略は大きく方向転換をみせようとしていた。

わたしは世界中に友達を作ることができた。わたしの大陸的情熱は刺激され、大陸的鷹揚を、すでに持ち始めていた。わたしは大陸的に生き、大陸的に行動する。わたしは大陸的だから。


わたしは万里の長城に、わたしの大陸を見たのだ。

China - 北京総決算⑦「政体に関するまとめ」


(※孔廟内の科挙合格者名簿の石碑たち)

わたしは、コンビニの中に成人雑誌コーナーがあることが許せないと思っている人間だった。わたしは、人間は本来とても純粋で、明るく、楽しくて、向学心を持っていて、目には輝きが宿り、肉体は充実し、精神は落ち着き払った竹林のよう。そう思っている。

だから、北京で見たある種の「統制」に驚き、それを評価するに至ったのだ。あるものはあるべきところに収まるべきであり、それは日本や他の先進国のように、日常生活の中にでしゃばって出てくるものではないのだ。そしてわたしはそれによる子どもたちの目の輝きを見た。

中国政府があの天安門事件を隠し続けたり、政治的な自由な言論を許さなかったりすることに対しては、わたしも違和感を感じるし、反対もする。ただ、すべての無条件な自由がまったくもって正しくないのと同様に、無条件に自由を信奉することは何らかしらの過ちを生む。

経済に関することについては、中国はすでに社会主義ではなく、資本主義に移行しているように思える。ま、ただ、100年、1000年という単位で時代を見ると、その資本主義はいずれ社会主義に円満な形で移行されるかもしれなかった。かつて、社会主義はすべての人の理想だった。

今は、温かい目で中国を見守っていたい。そう感じている。中国の友人もそのうち増えてくるだろう。その時、またこの話が展開され、議論されることもあるだろう。ただ、わたしは北京のバスの中、そしてマックの中で見た若者たちの純粋な目の輝きが、まだ忘れられないのだ。


わたしの目には、新しい一つの力が加わった。

China - 北京総決算⑥「中国と英語」


(※孔子の像)

この中国旅行では英語は使えないと思っていた。つまり英語の勉強にはならないのだと思っていた。でも、違った。北京でも、空港、ホテルは言うに及ばず、街の土産屋からマックの中まで、英語を使う冒険のようだった。

そう、冒険のようだった。誰も知らない異国の地。確実に伝わるのは英語のみ(中国語できないからね、今はまだ!)。かつ、旅行者の数がNYC、ロンドンに比べて圧倒的に少ないから、サバイバル度は極めて高いものとなっていた。生きるか、死ぬか。それに近かった。

例えば4日目の空港での出来事。自分の飛行機があと20分で離陸してしまう。ありとあらゆる英語力を動員して、ありとあらゆる助けてくれそうな人に話しかけた。そしてNorth Westのオフィスでは交渉術を使いながら翌日の便を確保した。

英語があれば、世界が手に入った。その予感は正しかった。そしてわたしは今まで、その日々の生活の中で、たゆまぬ努力を続けてきたのだ。これしかないと。今やらねば絶対後悔すると。まだ見ぬ息子に。まだ見ぬ娘たちに。

ディクテーションを猛烈にやったときくらいから、新しいレベルに上がったのだと思う。CNNのディクテーション競争もよかった。普通の英文だったら、問題なく聞き取ることができた。そして、簡単な英文だったら問題なく話すことができるようになっていた。

英語を続けてきてホント良かった。昨日もChristieに褒められた。もちろん求めるレベルはまだまだ上だけれど(TOEICでいえば990。TIMEをスキムできて、ネイティブと普通に会話できるレベル)、そこに到達するのは時間の問題のように思える。


わたしは学び、感動する。それを伝えていきたい。

China - 北京総決算⑤「中国語とわたし」


(※Tiananmen:天安門)

中国語は学ぶに値すると思った。既に見てきたとおりこの中国は20年後、凄まじい発展を遂げるものと思われ、この国の言葉を話せることは、世界をより理解すること、人生をより理解することに近づくことを意味するように思われたからだ。

中国の人とよりコミュニケーションをとる必要があると思った。わたしの旅行前の中国語への態度は極めて強い非難に値するものだと思われた。だって勉強時間0時間だからね。iPodが故障したっていうこともあるんだけど。そして中国語を3年以内に習得することは、大陸的人生に不可欠な要素であるようにも思われた。

中国語は英語と似ている?よくわからないんだけど、そんな感じがした。主語、述語、副詞、疑問詞などが英語と同じような構文で文章を構成している。発音も、どこか英語に通じるところがありそうだ(巻き舌とか)。そして、アメリカの中国に対する関心はますます高まっており、英語から中国語を勉強する方法をわたしはとることができ、それはわたしの外国語への習得をますます高めることになるだろう。

そしてわたしは日本人だった。つまり漢字がわかり、漢文も中学、高校時代に学習済みなのであった(まあほとんど忘れているけどね)。また、中国の歴史にも理解があり(例えば三国志とかね)、孔子、孟子、そして晏子などといった哲学者、英雄などにも知識、理解を有していた。わたしはまさに、第3言語として中国語をマスターするように定められていた者のようなものだった。

3年以内。わたしはこれを中国語習得の期限的な目標としよう。そしてそれをこれからブレークダウンしていこう。すなわち、2週間後、1ヵ月後、3ヵ月後、半年後、1年後、2年後、そして3年後と具体的にマイルストーンを置いていこう。そうすれば目標達成の可能性は大きく高まり、そうしなくても限りなく100%に近いのではあるが、わたしは満足できる3年後を送っているだろう。


2006/12: 中国語に関する情報を集め、戦略を定める。
2007/01: 中国語学習を本格的にスタートさせる。(このときはまだ英語学習との並行)
2007/03: 第一回目の試験を受ける。(中国語検定みたいな試験があるのだろう)
2007/06: スピーキング、ライティングを本格化させる。(中国語会話をはじめる)
2007/12: 中国視察②。(上海か西安か広州になるでしょう)
2008/06: この辺りではもうビジネス中国語レベル。今の英語学習のような感じ。
2008/12: 中国視察③。(上海か西安か広州になるでしょう)
2009/06: 仕事で実際に中国語を使っているでしょう。
2009/12: 中国視察④。(北京に戻るでしょう)


日本語と、そして英語と中国語を流暢に使いこなせれば、できることの幅が大きく広がるでしょう。中心は英語に置かれるとは思うが、まさに世界中の人々とコミュニケートし、成果を出し始めるでしょう。高い付加価値をビジネスにおいて示すでしょう。そしてわたしは報われるでしょう。人々の笑顔で。


让我们去做. (Let's do it)

China - 北京総決算④「北京、その人々」


(※北京駅前広場にて)

中国人が高圧的で、日本を嫌っていて、声が大きいというのはわかっていた。ただわたしはそれを固定概念とせず、実際に中国の地を踏み、実際に中国の人とふれあい、それから、中国の人たちを判断したかった。いや、判断などというものは自己中心的で、身勝手だ。わたしは、ただ感じよう。

思ったより、おだやかだった。携帯電話を所構わず彼らは使うが、それはまあしょうがなかった。むしろ彼らは人が携帯電話を使うことを苦に思わないのだから、それはそれで問題なかった。そして初日に北京の市内でとても優しい素晴らしい方に出会った。中国人の「内」に対する大らかさを見たようだった。

わたしは一人で中国を旅行しており、そしてつたないながらも中国語を話しており、彼らにとっては身内みたいなものだった。集団で行動し、日本語ばかり話すツアー客とは一線を画していた。わたしは彼らの中に深く侵入し、彼らのことを知ろうとした。わたしの人間観察眼はここでも最大に発揮された。

彼らは、特に中高年の方々は、基本的に田舎者だった。経済も急速に成長して、その波についていけないのだった。彼らは今まで通り唾を吐き、乱暴に通りを歩き、高圧的に人に接するのだった。ただ、彼らの素顔としては、これまた田舎の人がそうであるように、優しく、おだやかなのであった。家族には、柔和な笑顔を常にみせるのであった。笑い声が響くのであった。

ファッションは大抵ダサかった。体も何か日本人より一回り小さい感じがした。同じモンゴロイドではあるのだが、顔を若干違うことは明らかなような気がした。これは言葉にしては本当はいけないことであるが、彼らは弱さを自らの中に抱えていた。そして彼らは清の時代の反省を踏まえ、大きく成長しなければならないと強く決意していた。


次の明治維新は中国で起きるだろう。それが時代だ。それが流れだ。

China - 北京総決算③「北京、その経済状態」


(※ある市街地の風景)

わたしは投資家だった。大きな声ではいえないが、かなりの額を既に稼いでいた。15勝1敗だった。(しかもその1敗も-5万円ほどだった。気の迷いだった)。そして3年前くらいから中国株にも手を広げており、今回の旅の目的の大きな1つに、経済状態の視察というものがあった。

あらゆる書籍、ニュースから、中国経済は磐石であるという旨のことを聞いていた。果たしてそれが本当か、わたしは自分の目で確かめる必要があった。そして酒をやめてから特に貯まりだした貯金をどこに投資するかという選択を助けるために、わたしは中国を見る必要があった。

ある程度悲惨な状態を想定していたんだけど、びっくりしたよ。中国は、まあまあ、発展している。まあまあというのは、今の東京の10年から20年遅れ、日本の地方都市くらいにはなっているレベルだった。車はあふれ、広大な土地があり、どこまでも続く建物の波、人の営み、バスの運行。

そして何より、若者たちの将来性。本屋のレジには行列ができ、社会主義国家らしく堅い本ばかりが本棚に並んでいた。そして英語学習のコーナーは1階まるごと占めていた。街の若い店員たち、そしてホテルの従業員たちは英語をかなり話し、そして向学心を高く持っているようであった。

彼らはキャッチしようとしているのだ。成功を、富を、名誉を、勝利を。そして彼らは惑わされない。くだらない情報に溺れることがない。夜の街は封鎖され、おかしなタブロイド紙は葬られ、健全さが市民権を得ているようだ。彼らは強く、まっすぐ育つだろう。そして大陸で育ち、大陸的に判断するだろう。


つまりわたしはポジティブで、強くBUYだ。

China - 北京総決算②「北京、その交通事情」



以前も書いたように、北京では車がだいぶ多く、「自転車が多い中国」のイメージが覆された。走っている車もそんなにおかしい車はなく、日本の-10年とか、そんなレベルだろうか。北京においてはすでに始まっていた。レボリューショナルな成長が。

ただし、この国を知らない人にはいくつか注意しなければならない点があった。

・歩行者には信号を守るという概念がない。
・(車両は右側通行だが)右折車に要注意。信号は関係ないみたい
・歩行者優先という概念がない。平気でクラクションを鳴らされる。
・朝方は渋滞を見せる。ただ、日本よりはひどくないだろう。


特に、右折車(日本でいうと左折車ね)には最大の注意を払わなければならない。俺も2、3回引かれそうになった。つまり、対面の車両用信号が「赤」なのに、右折者は交差点に侵入してOKなのだ?Do you believe that? だから、歩行者は歩行者信号が「青」だからといって、完全に安心して渡れないというわけだ。右折車両を通さなければならないから。

また、対面の信号が青のときのその側面の横断歩道を渡る歩行者も注意しなければならない。日本では歩行者優先が徹底されているから、左折車が歩行者を無視する勢いで突入してくるなどという場面はなかなかないが、中国ではそれが当然のように行われる。これも少し怖かった。この「右折車両問題」はこのまま北京オリンピックを迎えた場合、かなりの死傷者が出ることが予想されます。(いやマジで)

あと、歩行者の信号に対する考え方は、ニューヨークやロンドンをはるかに越えていたね。信号を無視するにとどまらず、車と車の間を縫って歩くというか、複数車線の大きな交差点を、映画のように、一台一台かわしながら信号無視するのだ彼らは。これはこれで面白かった。(繰り返すが、わたしは信号無視と文明度を結びつけるつもりは全くない。それは民族気質を少々表現する)。


まとめとしては、車が多いことにびっくりしたなあー。流れがとまらないのだ。

China - 北京総決算①「まとめの概要」

さあ、いつものごとくまとめよう。

・北京、その交通事情
・北京、その経済状態
・北京、その人々
・中国語とわたし
・中国と英語
・政体に関するまとめ
・そして、大陸的人生について


こんな感じになるだろう。そしてこの後会計を行い、次回への展望を語る。では始めよう。


では始めよう。全ての既成概念を吹き飛ばした北京旅行について。

Saturday, December 09, 2006

China - [Day5] 長いようで短かった北京旅は終わった


(※ホテル前でタクシーの運転手さんに撮ってもらう)

昨日の教訓を生かし、6:30にホテルを出る。優れた人物は、同じ間違いをほとんど犯さない。というか空港には最低1時間前には着くこと!

もうくたくただった。主に足のせいでそうだったんだけど、精神的にも、もう一杯一杯だった。でもそれは、いい意味での疲労感だった。

頭は今まで経験したことのないような考えで占められており、旅がもたらすほどよい緊張感でわたしのキャパシティは大きな伸長を見せ、新たな決意で胸は焼き焦がれんばかりだった。

9:05発の飛行機に乗り、成田を目指す。そしたら隣に座っていた女の子が離陸の際に涙ぐみ始めた。飛行機が怖いのかなと一瞬思ったけど、一人だったところを見ても、学校か就職かで一人日本に旅立つところのように見えた。不安と、家族そして友人たちへの想いから涙が出てしまったのだろう。

声はかけなかった。ただ、いずれはそのような時期が来ることは明確に感じられた。わたしは中国から飛び立つ際も大陸的な考えに頭を占められており、近い将来、竜のように、悠然と立ち上がることが想像された。

ニューヨーク、ロンドンにも負けないような、いや、ある意味すべてを凌駕した北京旅行は終わりに近づいていた。機内で見た『Mr. インクレディブル』は最後まで見れなかった。何か夢の中にいるような、そんな感じだった。成田に着いた。旅は終わった。




旅は終わった。そして、また始まる。

China - [Day4] バスに乗って中心部に戻る。最後の夜をどこで過ごすか?


(※西単のデパート。)

たそがれの時が過ぎ、最後の夜をどこで過ごそうか決めかねていたが、北京一の繁華街(北京の銀座、王井府)に戻ることにした。夜がどのように中国人に過ごされるのかを知りたかったのだ。それと、今だ中国の「サラリーマン」というものを見ておらず、その生態を探りたかった。

途中、おみやげ屋さんに何件か寄った。その中で、捕まってしまった。以下の有様になった。


(※チャイナ服を身にまとい、記念撮影)


この服を実際に買ったかは、問題ではなかった。というかこの場でははっきりさせることができないことだった。人は、誰しも失敗というものを経験し、その度に、一回り大きくなって帰ってくるものだ。つまり、失敗こそ、成長への養分であり、貴重な滋養であるわけだ。かつ、北京の女性たちの巧妙に仕組まれた接客術というものもわれわれは忘れてはならない。

結局、最後の晩餐はMcDonaldsということになった。意味はあまりなかったが、あえて言うとすると、少し疲れていたんだ俺は。

blog - 今日はこれから英会話!

おつかれ。今日の英会話では次のことを目標にしようと思う。

「大陸的生き方について英語で完全に説明し尽くす」。


日本語ですら難しいこのことを、英語でやってみせる。Christieが「うん」といったら俺の勝ちだ。あと1時間。

China - [Day4] 地下鉄(初)に乗り、北京動物園へパンダを見に。そしてMacで感じる


(※北京の地下鉄)

地下鉄に乗った。一回3元。まあ普通な感じで、悪くない。ただ、自動改札とかはない。乗ったのが平日の昼過ぎくらいだったから、車内もあまり混んでいない。バスに次ぐ市民の足だ。途中、吉野家で牛丼をオーダーした。セットで20元くらいだった。


(※牛丼セット。味噌汁はなかったみたい)


で、北京動物園ではパンダしかみなかった。4、5匹はいた。(平日ってことはあるんだろうけど、ガラ空き。規模も上野動物園の比ではないね。


(※ガラス越し。なんか妙な可愛さなんだよなー)


まあ、パンダしか見ないといいつつ、虎だとかもいた。


(※うん、虎だね。)


今日は郊外の観光スポットとして有名なイン和園や、中国の最高学府といわれる北京大学などを覗いてみたかったのだが、時間的な都合と、体力的な都合で(左足をかばいつつ歩いていると、それが所々に痛みを生むのね)、今日はここまで。Macに入り、コーヒーを飲みながら夕暮れの中、一人たそがれる。


(※北京動物園近くのデパートの3Fから。夜景がきれいだった)


何をたそがれていたかというと、今回の旅はものすごく大きな衝撃を与えたわけです。まず、人々との交流がとても面白かった。うん、旅の目的は「視察」だと、わたしは言ってきた。そこには現地の人と仲良くなるとか、おしゃべりするとか、そういうのがあまり含まれていなかった。でも、今回の旅でそれが重要であるということがわかったし、それができつつあるというのがわかったし、今後も続けていこうと思った。

大陸的に生きようと思った。何かに境界を作るのではなく、シームレスに、ボーダレスに、大陸的に、物事を成していきたいと思った。北京は広かった。どこまでも人の営みがあり、どこまでも車が走っていた。そしてさらに北には万里の長城があり、ロシアがあり、北極がある。南へも同様に、その大地は、無限の勢いで頭の中で広がっていた。

このマックの中でも中国人たちは小柄で、楽しそうにしており、一般の日本人が感じているイメージとは大きく異なるものに感じられた。確かに「外」というものに対して彼らは高圧的に対峙する。歩いているときに肩がぶつかる可能性が日本の3倍から5倍はあったし、車の運転、大きな声からその辺は推察できた。

しかしそれは何千年にも及ぶ大陸の歴史から生まれたものに違いがなかった。しかもここしばらくは侵略されることが続き、彼らのメンタリティーは非常に危険なゾーンに入りつつあった。強くいかなければ、やられるだけだった。それに対して、「内」に対しては非常に温かみがあった。中国語でまず話しかけると、コミュニケーションが非常にうまくいくことに旅の途中で気がついた。

かつ、「シェイシェイ」で終わらせるのではなく「シェイシェイ・ニー」まで行くと、何かほがらなか反応が相手から返ってくるのであった。英語だけでもコミュニケーションをとることも可能だったかもしれなかったが、これは人類共通の性質として、「内」に入ってきてくれる人には好意が示されるのであった。

そういうのもあり、ここ北京のMacにて、中国語を勉強することを固く決意したわけだった。大陸的に生きようと決意したわけだった。(思えば「大陸的」という言葉はここで生まれた気がする)。俺がやらずに誰がやると。英語、中国語、そして日本語を駆使し、類まれなる行動力?と率先力?で、俺がやらずに誰がやると。


俺は大陸に生まれ、大陸的に育つのだ。

China - [Day4] ホテルを見つけ、孔廟、雍和宮へ


(※4泊目のホテル)

まだ見てないところはどこかな?

孔子を祀った孔廟と、チベット仏教寺院の雍和宮を見てから、北京動物園、北京大学、イン和園を見に行くことにする。すでに足は過去最高の痛みを発しており、もうずっとびっこだよ。空港で走り回ったことで、さらに悪化した模様。自重が必要である。

ということで薬局で湿布とリップクリームを買った後、タクシーで孔廟を目指す。ここも工事中だった。まあ、「まあ」という感じだった。チベットの方も同様。


(※Confuciusのメッカ?)


(※チベット。お祈りしている人と、観光している人と)

China - [Day4] 北京最終日。空港へ向かい、あわてる


(※朝、出発前にホテルの前で)

昨日の晩はテレビなどを見てゆっくりと過ごし、睡眠も十分にとった。2日間など早いものだ。北京発9:05の飛行機にのって、午後の1時くらいに成田につくことになる。実質2日しかない旅だったが、非常に充実感を感じていた。何かが生まれそうな気がしていた。

7:30くらいにホテルを出たのかな?タクシーに乗って、渋滞にハマりながら、ちょっとまずいかもと思いながら8:20くらいに空港に着きました。カウンターに行く前にお土産を2、3つ買って、いざNorth Westのカウンターを探してみると、ない。いろんな人に聞くけど、要領を得ない。慌てはじめる。

出国ゲートの強行突破を図るも、ボーディングパスがないと駄目ってことで追い返される。もう一度落ち着いてNorth Westを探す、聞くと、カウンターはClosedしていて、What should I do?と聞いたら、3FのOfficeに行けってことだったから、これまたあたふたしつつエレベータを探して、そのオフィスに行った。


そしたらそこで最終判決。「あなたは今日、その便に乗ることはもうできません。遅刻です」。「そしてわれわれは一日に一便しか運行していないので、明日または明後日の便に乗ってもらうしかありません」。「ただ、明日の便は満席なので、明後日になりますでしょうか?」。「JALなどの他社の便を使うとなると、正規料金がかかりますから、10万円くらいになります」。

という感じだった。結局、翌日の便で帰ることにして(追加料金はかからず)、オフィスを後にした。前回のロンドンのときもこんなことが起きたっけ。とりあえず国際電話で会社に翌日出社できない旨を伝え、スターバックスで小一時間ボーっとする。まあしょうがない。ホテルを探して、北京動物園だとか北京大学、■和園(いんわえん)を見に行こうか。ま、適切に気持ちは切り替わる。俺もやるもんだ。


※■は臣っぽいへんに頁


(※空港内のスターバックスにて)


Let's go!

Friday, December 08, 2006

China - [Day3] 夜のしゃぶしゃぶ屋にて


(※羊肉しゃぶしゃぶ。これで8元だから驚きの安さ)

モンゴルからの影響で、北京には羊肉しゃぶしゃぶ屋が多いみたい。『地球の歩き方』に書いてあった北京で一番店に足を運ぶ。本来なら歩くが、足が痛いのでタクシーで。(タクシーって俺ホントはすごいきらいなんだけど、今回はまあよしとしよう。安いし。←初乗り10元、日本の1/4くらいかな)

上でも書いたけど、現地の普通の人たちが来るお店だから非常に安かったわけだよね。羊ばかり食べていたら50元もいかなかったでしょう(俺はなぜか牛の高いものを頼んでしまい、100元くらいになった。それでも安い)。

店の名前は宏源■肉城(こうげんせんにくじょう)。天壇公園の南にあります。ガイドにも書いてあったけど、日本語、英語、ほとんど通じません。俺も成田で買った中国語本を指差しながら会話しました。ま、食べ物屋での会話なんてジェスチャーとかでも大体通じるんだけどね。

とても混んでいました。俺も1時間待った。食べ物屋で1時間も待ったのなんて生まれて初めてかもしれない。時間があったのと、待っている間も人間観察や語学勉強で苦痛にならなかったからだ。外人はたぶん一人もいなかった。全部現地の人。この1時間が貴重な人間判断の時間になったと今思う。

あとね、料理はうまくてダイナミックでとてもよい。あと、店員さんも、気さくな感じで、若者が多くて、とても楽しかった。もう少し中国語ができれば、もっと楽しかったのに。そう思った。ホテルに戻ってから、とても貴重な時間を過ごしたんだなあと、何か温かい気持ちになりながら振り返った。写真を一緒に撮ってもらえばよかった。マジで後悔した。


※■はさんずいに刷

Thursday, December 07, 2006

China - 「どちらが性善説で、どちらが性悪説か」



これがわからなくなった。

自由主義は性善説で、統制主義は性悪説であるというのが一般的な見解だろう。そうだろうか?

最も純粋な状態で生まれてきた子どもたちは、一体何を見るのだろうか?大人の嘘だろうか?それとも静寂だろうか?

子どもたちがすれて、暗闇へと飲み込まれていく。何が原因だろうか?巨大な靄だろうか?裏切られた鉄槌だろうか?


どうやらわたしは、別に危険思想を持つに至ったわけではなく(笑)、中国の現地で見た中国の若者たちの輝きに心を動かされたようだ。そして無意識にその真因を探り、それぞれの政体の差異にそれを見つけたのだ。

子どもたちにとっては、矛盾のない世界が何よりの成長土台であると思われた。知事の汚職が次々と発覚し、大人たちは享楽に溺れ、銃とナイフが現実を切り裂くような環境では、目標を見失い、目は死に、退廃的な笑いに堕ちるしかなかった。

規律が必要だったし、そうすれば、性善説でもって子どもたちは守られた。わたしは中国の若者たちの目の奥に、その光を見出したのだった。貧しく、洗練もされていないが、何か強い、素朴な、純粋さの光を持っていた。そしてそこには、大陸的な何かが宿っていた。


わたしはわたしの夕暮れの中で感じた感触を、一生忘れないだろう。忘れてはいけないだろう。

China - [Day3] 盧溝橋、抗日戦争紀念館、そしてしゃぶしゃぶへ


(※タクシーの中から、郊外の風景?)

足も痛いし、タクシーを拾い郊外の盧溝橋へ(40元くらいか) 。盧溝橋は、日中戦争がはじまったあの盧溝橋事件が起こった場所なんだけど、まあ橋しかなかったね。銃弾のあとがあるって聞いていたけど、それも見当たらなかった。次を目指そう。




歴史の勉強ってことで、抗日戦争紀念館を訪れる。盧溝橋と同様にここにもあまり人はおらず、気合を入れてきた分、何か肩透かしをくらったような気分だ。中にはいろいろな戦争の資料が展示されていて、最後は日中友好のコーナーで締めくられる。(多くは中国語なので細かい内容はほとんどわからなかったけど、相手国がどのように考えていたかは明確に感じられた)




北京中心部へ戻ろう。今度は路線バスで帰るつもりだ。地名がほとんどわからないから「はじめてのおつかい」状態だが、頭をフル回転させて適切なソリューションを見つけ出す。いい訓練だ。そして、この郊外から市外に向かうバスの中で夕暮れを迎え、なにやらとても気持ちいい時間を過ごした。その夕暮れは地元の中国人の中に揉まれながら、ある郷愁へとわたしをいざなったのだ。




さあ、次はしゃぶしゃぶ(羊)だ。

China - [Day3] 前門大街を通り、3泊目のホテルへ


(※天安門広場の南端、正陽門)

天安門広場を抜け、前門という門?を抜け、北京一の繁華街だと言われていた前門大街へと足を踏み入れる。 そしたら、全面工事中だったね。ま、ここに限らず、おそらく北京オリンピック(2008年)に向けていたるところで工事が行われていた。2008年に行ったら、また別の趣があるのだろう。

そして下のような浅草のような商店街をさらに抜け、ホテルを見つけ出した。一泊400元だった。


(※っぽい商店街、大柵欄)


(※3泊目ホテル。新北緯飯店)

China - [Day3] 今日はホテルを探し、歴史を学ぶ

事前に予約していったのは1泊目と2泊目だけだから、今日泊まるホテルをまず見つけなければならない。事前の予想に反して、ホテルでは英語が使えそうだからためらう必要はない。英語の勉強をかねて、存分にやってやるべきだ。飛び込みだ。

天安門広場を縦断する。広いといっても100M×500Mくらいだろうか。毛沢東記念館には荷物を持っていたから入れなかった。下のは何とかの塔。




今日は南半分の探索と、歴史を学ぶ日。そう、盧溝橋、そして中国人民抗日戦争紀念館を見に行くのだ。歴史を、反対側から見てみるのだ。

blog - とりあえず書き残す

1千万を超えた。


より、攻めに転じよ。

China - [Day3] 足が痛い。。。


(※1泊目、2泊目のホテルの絵)

3日目、朝起きたら、足が痛い。。

ニューヨークで痛めたところと同じ場所だ。ショック。。

左足の甲の横というか、なんていう名前の場所なんだろう、普段痛くなりそうもないような場所で、歩くたびにピクッと痛む。持病的なものになっていたのか。。

体力的には絶対的な自信を、酒をやめたこともあり抱き始めていたのだが、どうやらそういうわけにもいかなかったようだ。特に左足のこの名も知らぬ筋肉のケアには今後、最大の注意が必要だろう。


しかしまだ3日目。わたしは止まるわけにはいかないのだ。歩き続けなければならないのだ。


(※朝の北京。おはよう。)

Wednesday, December 06, 2006

China - [Day2]2日目はホント歩き回って、ホテルに着いたのは12時くらい



30、40Kmは歩いたのだろうか?

上の写真のような美しい場所を歩きながら、といいつつ東京やロンドンに比べると美しくないのではあるが、デパートのようなところや、人の動きを見つつ、北京中心部の北半分を踏破しようとしていた。ロッククライミングをしているだけあって、その歩みは快調だった。1年で海外3回目は伊達ではなかった。

夜は北京ダックを食べることにした。なにか北京らしいものを食べたかったからだ。『地球の歩き方』に載っていたレストランで北京ダックは一番的なお店に向かい、それは市内東北部にあったが、8時くらいだったのかな、店に着きました。

ちょっと待って、席に案内されて、一人で食事するのが浮いてしまうような絵に描いたような高級中華料理屋で、メニューに目を通し、予定通り88元の北京ダックを注文した。そしたらよ、店員の女性がよ、何か言うからさ、聞いてみたら、あまり英語が話せないようでうまく意思疎通ができなかったんだけど、北京ダックだけじゃ駄目みたいなのね。つまりコース的にいきなさいということだったのね。

だから、しょうがないから指で指し示されたフカヒレの何とかと、なまこみたいなものを一緒に頼んだ。


(※フカヒレか)


(※なまこならむサメのひれか)


実はお腹があまり空いておらず、つまりその日はマックと鶏丼とケンタッキーフライドチキンを食べていたからなんだけど、フカヒレは無理して食べたけど、なまこみたいなもの(Shark's finって書いてあったからサメのひれか)は残した。こういうのはあまり好きではない。

北京ダックも、フカヒレのせいで食べるの実はつらかったんだけど、初志貫徹で何とか完食した。お腹が空いていないときにレストランに来るものじゃないと思った。今後の反省材料としよう。さて、最後にショッキングな写真を掲載せざるを得ない。ビールを頼み、一杯飲んだのだ(詳細については一章以上を割かねばならないだろう)。


(※北京ビールか)


結局全部で400元くらいした。北京人の商魂、侮るべからずだ。(というかこれには痛い目に会い続けることになる)

Tuesday, December 05, 2006

China - 「英語 - 世界へのパスポート」

という変な題名をつけたが、英語はやっぱりいい。

英語はやっぱりどこでも通じる。中国でも、30歳以上くらいはたぶん通じないが、若い人はたとえ片言かもしれないけど、英語を勉強して来ているからなんとなく通じる。そして大きなデパートやホテルなどの人は大抵英語が通じる。だから今回、言葉には全く困らなかった。

わたしの英語力はまだまだだが、これからも大いに勉強してやろうと思ったものだ。英語が手に入れば、自動的に世界も手に入るわけだ。ほぼ世界中の人々とコミュニケートできるという切符が、手に入るわけだ。そこに中国語などの現地の言葉を少しからめなさい。今までとは次元が異なったコミュニケーションレベルへとあなたを導くであろう。


世界を知ることは、とても重要なのだ。

China - 「大陸的人生について②」



日本人にはない気質を、中国人の中に見出したような気がした。「大陸的気質」。

雄大さであり、緊張であり、るつぼであり、広さだ。

大陸的知見を、わたしは中国大陸で手に入れた。

China - 「国家統制主義について③」



ただ、中国人が他の民族も洗練されているだとか、誠実な民族だとか、そういうことを言うつもりはない。2秒に一回は道路に唾を吐く彼らの姿を見たし(店の中でも唾はいてたよ)、タバコは所構わず吸うし、運転は極めて乱暴、クラクション鳴らし放題。基本的に田舎者だ(失礼)。

でも忘れられない。3日目のしゃぶしゃぶ屋での彼らの笑顔、人なつっこさ。初日にわたしを助けてくれた人。若い人たちの学習意欲。(ある本屋では一階まるまる英語の学習本コーナーだった。英語もよく通じた)。質素な立ち振る舞い。ここ20年で大きく中国は変わるだろう。


売春が死刑になる国。素晴らしいじゃないか。

China - 「国家統制主義について②」



もう率直に語ろう。

民主主義の弾圧。国家による情報統制。Googleから除かれるキーワード。中国の政体、政治に関してはネガティブなイメージが強いだろう。わたしも同じように感じていた。自由こそすべてだと。言論の自由だと。本当だろうか?

Googleから漏れる汚い言葉。止まらない犯罪。極めて非人間的な活動が行われる極めて日常的な夜の街の風景。へどが出そうだ。何様のつもりなのか。このやり方が本当に正しいと、間違いなく言えるのだろうか?

わたしは中国人たちの仲の良さそうに連れ立って歩く姿や、腕を組んで歩くカップルや女性同士、そしてその静寂さが好きになってしまったのだ。夜は早く、酔っ払いや、魔法使いたちは見当たらない。本屋には人があふれ、難しそうな漢文を老若男女、一生懸命見入っている。

郊外からの混んだバスの中で見た搭乗員の若い男性の力強い視線(写真を撮りたかったほどいい顔をしていた)。若い女性たちの質素な姿と、そのひたむきさ。わたしは、涙が出そうだったのだ。考え込んでしまったのだ。


何かとてつもない大きな過ちをわれわれは犯し、見過ごしてきたのではないか。

China - 「社会主義ないしは国家統制主義について」



中国の今の政体を一体なんと呼べばいいのだろう。 社会主義でもあり、資本主義でもある。最も新鮮な感覚は次のようなものだ。「国家統制主義とは一体なんだろう?そして穏やかな統制は、非難されないべきではないだろうか?」

中国では、売春や麻薬の売買などは死刑になる。そのすぐれた公共交通システムは、極めて格安に市民に開放されている(バスは1元、地下鉄は3元。それぞれ15円、45円)。漫画は一切本屋に置かれておらず、下品な中吊り広告もなく、少年少女は極めて明るい表情をしているようだ。


彼らは、極めて明るい、純朴な表情をしているのだ!

China - 「第三言語 - 中国語について」



1つ決めたことがある。

「中国語がわたしの第三言語となる」。つまりわたしは今まで日本語、英語と勉強して来ているわけだが、次は、俄然中国語を勉強すると固く心に誓ったわけだ。

まず、わたしは中国に魅せられた。理由は後述していくが、日々の生活の中で中国語を使う機会が近い将来やってくるだろう。わたしはそれに備える必要がある。

片言でも、中国を話すことはなんて楽しかったことか。それは笑いをとれたからというのが一番大きかったわけだが、それでも、新しい言語を学ぶということは、わたしに新鮮な喜びをもたらしていることも間違いがなかった。

そして英語と中国語の相性も非常に良いのだ。そして忘れてはいけないことは日本語と中国語の相性だ。この3つがつながるとき、そこには大きな力が宿るだろう。大きな力には、大きな責任が伴うであろう。


言いたいことはこれだけだ。「それに備えよ。集中し、備えよ」

China - 「大陸的人生について」



要は、写真を切り貼りしながら旅の経過を書いていくのが少し面倒くさくなってきたわけですよ。だから、そっちの方はまた後日やるとして、なぜならそれは写真が残っているから思い出すのも楽なわけだからだが、今一番大事なことは、今まさに感じているこの感情を文字として残し、後世の人々に伝えることだと思うわけだ。

一番印象的な言葉は、「大陸的人生」という言葉だ。自分で勝手に考えていただけの言葉だが、中国及び中国人を語るとき、そこには必ず「大陸的」という要素が加わることになるだろう。そして、「大陸的人生」または「大陸的思想」というものが、中国いる後半から特に、わたしの頭の中でリフレインを起こしているのだ。わたしは中国とともに決意したわけだ。「大陸的」に生きると。


大陸的に生きると。

China - [Day2]王府井と西単。2つの繁華街で感じたこと



まあ、王府井(おおふい)というところと西単(せいたん)というところが北京の二大ショッピング街らしいのだが、それぞれ北京の銀座、原宿と呼ばれているらしいが、まああまり期待してはいけないだろう。彼らはまだこれからだ。ふむ、所々で杏飴みたいなのが売られている。1元くらいか。




まあですね。今から思えば「どこに行った」とか「どこを見た」とかはどうでもいいことでですね。わたしはこれから中国の本質、旅の本質というものについて大いに論じていきたいと思うわけですよ。まあ旅自体は、これから北海公園を通り、景山公園を脇目で見て、前海を抜け、三里屯を駆け抜け、北京ダックを食べたわけですよ。


(※撮り方が悪い。フラッシュは使った方がいいね)


北京ダックを食べたわけですよ。

China - [Day2]いきなり核心、天安門と紫禁城



まあ天安門をくぐって、故宮博物院(Forbidden City)に入場する。一人40元なり。まあ上の写真のような建物や、下の写真のような美術品が飾ってあったりするわけだが、 前の英語先生のNicholeも言っていたような気がするが、確かにBoringのような・・・。




まあ、写真をその正門の前で撮ってもらったりしたが、この辺は深くその歴史や背景を知らないと、本当には楽しめないのでしょう。いる人たちは、圧倒的に中国人が多かった。観光のオフシーズンというのもあるかもしれないが、確かに中国人が一番楽しめるところでしょう。彼らは熱心に見入っていた。