Monday, July 31, 2006

blog - 運転免許への挑戦

最近本をまたたくさん買ってしまった。

・Merriam-Webster's Vocabulary Builder
・1100 Words You Need to Know
・Word Power Made Easy(以上3点ボキャブラリ構築のため)
・ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
・グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する(以上2点ITリテラシー向上のため)
・ベーシック・フリークライミング
・クライマーズ・ボディ(以上2点クライミング技術向上のため)
・普通免許 合格テクニック
・普通自動車 運転教本(以上2点運転免許取得のため)


ボキャブラリー本は、英検対策の単語帳で勉強した成果があまり見られないため、向こうの単語帳で勉強するのがいいと思った。このレベルまで来ると、日本語と英語の変換をせずに英語を理解できること、そして何より、単語の勉強の過程でも英語全般への理解を深められるということを重視した。また、電子辞書の見すぎによる視力低下にも考慮した。

ITの本については、スティーブジョブズの『iCon』を読んだことにより、この業界に生きる人間としてこの業界のことをもっと知らなければならないと感じ、話題の本を読んでみようと思った。アウトラインを見れば大体話の内容はわかっていたのだけれども、それでもプロとして最低限押さえておかなければならないところは読んでおくべきだろう。

クライミングの本については、友人に借りるなどして数冊は読んでいたが、よりレベルの高い領域に進むべく、初めて自分で購入してみた。特に『クライマーズ・ボディ』という本は極めて科学的にトレーニングというものに対して解説されており、買ってよかった本といえるだろう。今までストレッチの意味合いさえわからなかったが、このような学習によりわたしは肉体のマスターになり、日々の井の頭公園でのトレーニングに資するとともに、子どもたちにいろいろと教えられるような身分になるであろう。

最後の運転免許関連は、今ここで告白するが、去年、わたしは免許を失効してしまった。いわゆる「うっかり失効」で、気づいたのが失効してから半年以上経過したときだったから、仮免許からのスタートとなってしまった。だからわたしのカバンには運転免許の変わりに仮免許が入っている。そう、とても残念な結果となってしまった。免許を取らせてくれた両親に心からお詫びしたい。ただ、仮免許からスタートできるというのは非常に大きなことで、わたしは数時間の勉強と、1~2回の試験で無事免許を再取得することになるであろう。会社を2、3回休まなければならないが。


以上

Friday, July 28, 2006

blog - 再び、アイデンティティ

人生は旅だ。振り返ればいくつかの山を越え、いくつかの谷を下った。絶壁もあったし、ゆるやかな高原を歩いたこともあった。

感傷に浸るのは早い。まだ人生の3分の1も生きていない。これからもより険しい絶壁、より緑豊かな高原が目の前に現れるのだろう。

罪があり、贖罪があった。無為と、有為があった。希望と、絶望があった。──すべてがよく、すべてが貴重なる前提を形成している。会えてよかったし、会えればよかった。

感傷は危険だし、詩はもっと危険だ。ローマ人のように、明治維新の偉人たちのように、目の前の課題に対して現実的に対処していかなければならない。アイデンティティはアイデンティティに過ぎないのだから。


以上

Thursday, July 27, 2006

blog - 文学について

1つだけ言っておこう。

自らのこころの底より求めているもの以外は、いかなる本も読んではいけない。それは有害で、浪費で、怠惰だ。身の丈や、今の自分の状況に最も適した本を選び、それを読みなさい。そうすることによって本は本の価値を持つ。本が、ようやく君の役に立つ。

本と人は赤い糸で結ばれている。その糸を探しなさい。探求しなさい。あなたが出会えて一番良かった本は、あなたがそのときに最も求めていたもので、その出会いはかけがいのないものなのだ。それは自分で探さなければいけない。その糸は自分で手繰り寄せなければいけない。


だから本は生み出され続ける。

blog - 超人、ツァラトゥストラはこう言った

社会人になりたての最後のもがきのとき、ニーチェのツァラトゥストラを読んだ。シュールな世界、雄弁な文章、そして超人の概念がわたしをとらえ、何度も読み返すことになった。

彼はこう言った。「神は死んだ。そして人は超人にならなければならない。わたしはあらゆる世俗にこう言うであろう。否、否、三たび否。」

そしてわたしはツァラトゥストラから離れ、青い鳥に従い、現実の世界に舞い戻ってきた。青い鳥は隣の少女の肩にとまっていた。すべてがクリアだった。夢が、現実と出会った。

10年後、わたしはツァラトゥストラを読み返すであろう。そしてそこにはより成熟した人間がいることをわたしは期待したい。悪夢は去り、わたしは現実を見据えた。


ツァラトゥストラはこう言った

blog - 孤高の人、ヘッセについて

忘れられない言葉がある。

ヘッセのいずれかの小説で、主人公の母親がこう述懐する。「この子が生まれるとき、わたしはこう願いました。人から愛されるように!人から愛される子になるように!」

しかし彼女は気づく。「わたしはこう願うべきでした。人から愛されるのではなく、人を愛するように!人から愛される子ではなく、人を愛する子になるように!、と。」


総武線だったか。これを読んだとき、鳥肌が立った。

Wednesday, July 26, 2006

blog - Let me do it!

やってやろう。思っていることを、片っ端からやってやろう。躊躇することなく、出し惜しみすることなく、憎むことなく、傍観するのではなく。

賽は投げられた。ルビコン川は越えられた。スティーブ・ジョブズといういい人物にもめぐり合えた。彼はベジタリアンで、テレビを嫌い、デザインを好み、価値の創造を重視した。そして人間的に、、、未熟だ。

俺にそっくりだ。ビリオネアと比べるのはおこがましいが、模範とすべき、倣うべき、従うべき人物像がそこにあった。IQが200なくとも、少し風変わりでも、学がなくとも、人は人ができうることを成し遂げられるのだ。

よし、やろう。

・英語を継続的に勉強する
・今の会社でわたしが成しうること全て、成す
・ロッククライミングを極めよう
・朝早く起き、夜早く寝る
・英語が終わったら、勉強するぞ!


Thank you!

blog - 少し落ち着こう

少し落ち着こう。いきり立たないで、成熟をみせよう。明日ばかりを見ずに、今日を見つめよう。道端にゴミが落ちていたら、明日拾おうと決意するのではなく、今すぐ拾おう。将来貢献しようと誓うのではなく、将来貢献しようと誓いつつ、今日も貢献しよう。それが人の果すべき役割だ。

『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』を読んでいる(当然英語版"iCon"を読んでいる)。スティーブ・ジョブズいいね。何がいいって、天才過ぎないところがいい。スマートではないところがいい。人間味あふれ、ただ、彼の意志と、情熱を身近に感じられるのがいい。


是非読んでよ。普通のバイオグラフィーではない。真のバイオグラフィーだ。

Sunday, July 23, 2006

blog - 具体的な対策、改善について

金曜から始まった決断シリーズも、まもなく終わりを迎える。今回ここでは、決断に関する具体的な内容について書いていきたい。いよいよクライマックスであり、人生が何らかの形で変化するタイミングである。雨が、、、降ってきたね。

変えるということは間違いない。わたしは新しいフィールドで、また新たな挑戦を続けていく。頭に強烈な刺激を送り続けなければ、成し遂げようと思っていることは成し遂げられず、夢は、昔みていたはかない夢になってしまう。

失敗を恐れずにやっていかなければ。守ってばかりで攻めることを忘れるなんてことのないようにしなければ。義理人情に拘泥し、たしかにそれはとてもよいものだが、大きな目標、大きな夢、大きな求めるものを失わないようにしなければ。

具体的なものなどわからないし、改善されるかどうかもわからない。しかしここ数ヶ月考えてきて、そしてこの3日間で文章にまとめてきて、その道はどうやらはっきりしたようだ。であれば、今までもそうであったように、今回も素早く決断を下し、実行に移そう。


Let's roll!

blog - 100歳までにやりたい9つのこと (4)

いよいよフィナーレを迎える。死力を振り絞りたい。


■100歳までにやりたい9つのこと⑧ 「家族の幸せ」

わたしもいずれは結婚をして、子どもも生まれるだろう。幸せな家庭が築けたら素晴らしいことだ。わたしの原単位はより大きくなり、ますます世の中へ貢献できるようになるだろう。わたしはそれまでの、鍛えに鍛えた右脳を活用し、何かおかしく、それでも規律だった素晴らしい施策を打つだろう。愛があり、教えがあるだろう。試練があり、克服があるだろう。


■100歳までにやりたい9つのこと⑨ 「超越、そして世界へ」

まだ見えてはいない。ただ、そこにあることはわかる。アブラハム・マズローの提示した自己超越、至高経験という概念。トルストイが説いた死からの超越と、利他的、愛他的行動。ローマ帝国が示した人間の可能性。そして先日、ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットが示しえた人としての貢献。──そこにあることはわかる。そこに行くということもわかる。


■最後に

人生の大局に立ち、このように考えたことはよかった。これから下そうと考えている決断、そしてこれからも続いていくわたしの人生の中において、この思索は、確かに何らかのメリットを発するであろう。最後に。フィジカル・エリアが抜けていた。わたしは80まで走り、その後も健康に生きる。使い物にならなくなったら、ひっそり森に入り、あの誇り高きローマ人たちのように、最後を迎えるだろう。


以上。

blog - 100歳までにやりたい9つのこと (3)

時間が残り少ない。全力をかけて、まとめていこう。


■100歳までにやりたい9つのこと⑤ 「海外での生活」

いずれ、海外での生活をすることになるだろう。アメリカがいいが、ヨーロッパにもしかしたらなるかもしれない。1年か10年になるかわからないが、異国の地で生活することはわたしとわたしの家族にとってもいい刺激になり、幅広い人間性を形成する上で非常に重要な役割を果すであろう。英語を勉強してきた甲斐もある。


■100歳までにやりたい9つのこと⑥ 「財政上のフリーダム」

金銭的な自由を、30代後半か40代に手に入れることだろう。金銭的自由とは当然、お金のために働かなくとも生活していける状況を言う。ただ、その頃はいろいろと大きな出費も多いだろうから、より磐石な財政基盤を構築していなければならないだろう。しかしわたしはそれに対して準備を怠ったことはなく、比較的容易にそれは達成されるだろう。


■100歳までにやりたい9つのこと⑦ 「事業体の運営」

物事を治めるべくわたしは生まれてきたことは既に書いた。どのような事業体になるのかまだ明確なイメージはないが、30代後半ないしは40代、わたしはその事業体のトップとしていろいろな取り仕切りをみせているだろう。そこで働く人たちが最高の幸せを感じられるように。そこに関わる人たちが思わず笑顔になってしまうような状況を生み出すように。わたしは嬉々として幹事を引き受け、くすっという笑いこそが好きなのだ。


つづく。

blog - 100歳までにやりたい9つのこと (2)

どうやら風邪を引いたらしい。昨日から走るとすぐばてたからおかしいと思っていた。つうことで1,500円分のウナギを昨日食べたが、あまり効果はなかったようだ。まあちょっと喉が痛い程度だから、100歳まで生きることに何の支障もないであろう。

さて、本題に戻り、「100歳までにやりたい9つのこと」の続きを書いていくことにする。このようなことをブログ上に書いていくことで、自分の内面が明確になるとともに、将来への、わたし自身や、孫たちへのいい手紙にもなると思うからだ。だから面白おかしくも書こう。


■100歳までにやりたい9つのこと② 「本を書く」

これもあるね。本を書く。そして出版する。テーマはいろいろ考えられるし、実用書かもしれないし、哲学書かもしれない。小説ではないだろうけど、エッセー集くらいならあるかもしれない。大学以来、文章を書くことが好きだと気付いたし、中学以来、読書が最大の趣味であった。自然、やれるという予感はあった。

今思えば、小学校、中学校と、一番苦手な科目は国語だった。試験ではそれなりに点はとれたのだが、読書感想文を書くというようなものが苦手だった。原稿用紙を前にうんうんうなる。鉛筆は走らず、気の利いた言葉は書かれない。もう駄目だと思った。しかし蓋を開けてみると、周りの誰よりも本を読み、診断士試験の論述では誰よりも素晴らしい文章を書き、今わたしはここにいる。


■100歳までにやりたい9つのこと③ 「政治を行う」

あまりピンと来ないけど、いつか政治を行うのもよい。政治といってもいろいろあって、町の自治体から国政まで幅広い。わたしの名前には「治」という文字がある。何かを治めるのは覚悟していた。それにしても名前がその人にもたらすインパクトの大きさは計り知れないものがあると思う。周りを見てみると良い。大抵、その人とその名前との歴史が読み取れる。


■100歳までにやりたい9つのこと④ 「教育者として」

これもまだあまりピンと来ていないけど、将来何らかの形で子どもたちや後進を育てるということは絶対にやりたい。例えば事業から引退した後に、小学生相手に公演を行うなど。その時代、そこに生きる価値を大きく見出すであろう。そして、その価値を目指して、今のわたしはそのようになるべく行動するのであろう。教えられるものがなければ、教えることなど当然できない。


つづく。

blog - 100歳までにやりたい9つのこと

わたしは100歳まで生きるつもりであることは既に書いた。適切な睡眠、適切な食事、適切な精神さえあれば、100歳まで健康に生きることは実に容易なことなのだ。「健康に生きる」ということが重要だ。わたしはベッドを抜け出し、山にでも登っているだろう。そして適切な食事というものが最も重要だ。世界のほとんどの人がそれを実現できていないという点で。

話を戻し、大局をみるために、大きな視点から今回の決断を判断できるように、「100歳までにやりたい9つのこと」というテーマで文章を書いていきたいと思う。映画『死ぬまでにしたい10のこと』を意識したタイトルであることは明白だけど、死ぬわけじゃないし、できればいいなあくらいの軽い気持ちでいろいろと書いてみたい。9つという数字も適当だが、まあ大体そんなところに収まる気もする。

じゃあ始めよう。思いついたところから書き始め、9つ目にフィナーレを迎えるようにしよう。


■100歳までにやりたい9つのこと① 「栄養学の勉強」

アメリカかどっかの大学で栄養学を学びたい。冒頭の適切な食事じゃないけど、わたしにはある1つの信念ないしはアイデアがある。わたしが3年前まで2年間ほど菜食主義をしていたことを知る人も多いだろう。牛乳、魚を含めた一切の動物性食品を口にせず、生の野菜とフルーツを主食として、それを守り通した。

難しい局面もあった。当初、慣れない食事ということもあり、食べる量が少なくて栄養失調になりかけたこともあった。何より、菜食主義というものに対する認知が欧米に比べて日本ではかなり低いので、社会的生活を送るのに、人間関係を含め、非常に苦労した。しかし今から思うと、いい経験であったことは言うに及ばず、栄養学的な見地からも得られるものが非常に多かった。

あらゆる無駄な贅肉はなくなり、骨と肉と皮膚は浄化され、あらゆる不自然なもの、例えばにきび、吹き出物、あぶら、いやな臭いなどが一切無縁のものとなり、幼い頃以来の、とても健康な肉体を手に入れることができた。だから、社会的生活を送るために菜食主義をやめた後でも、生の野菜とフルーツをより多く摂ることを心がけているわけだ。

ただ、栄養学的な知識がないことによって、この素晴らしさを人にうまく伝えられないことが多かった。家庭科の授業なんてほとんど興味がなかったし、ビタミンAもビタミンBも一緒のようなものだった。でもこれじゃ駄目だし、というのは、将来的には、このような健康的な生活を送るライフスタイルを広めるような社会活動を行いたいと考えているからだ。

それには専門的な知識、経験が必要。場合によっては調査、研究、実験も必要。よってわたしは、何歳くらいになるかわからないが、おそらく40代か50代になると思うが、アメリカの大学に留学し、栄養学を専攻し、2つ3つの本を著し、公演を行い、人々を啓発し、若い人たちを教え、より多くの人々が健康的な生活を送られるよう活動していこうと思っている。


それが夢の1つだ。

blog - 夢、求めるものについて (4)

総括しよう。わたしは、

・よりレベルの高い仕事を求め、
・アジャイルやOOを駆使し、
・日本の情報技術産業に革命を起こし、
・英語を操りグローバルで活躍し、
・自社そして世界をよりよくするような行動をとっていきたい。


それが「夢、求めるもの」だ。

blog - 夢、求めるものについて (3)

夢は、いろいろあった。


アジャイル開発の夢にうなされていたときがあった。技術的な話なので詳細まで踏み込まないが、西暦2000年、アメリカにおいてシステム開発に関する革命的な考え方が生まれ、去年の始めの頃だったろうか、わたしもそれ関連の書籍を当然英語で読み漁り、興奮しきってしまったのだ。

OO、XP、アジャイル、Java、Webサービス、SOAなどの技術関連の言葉がわたしのなかで確実で明確なイメージを形成し、そのときから、わたしはこの業界において不可能なことはないと確信するようになった。しかし適切な経験、適切な環境、適切な態度がなかったため、その夢は頓挫してしまった。


MBAへの夢もあった。中小企業診断士合格後、わたしの次の挑戦を求める飢えた狼のような心は、ごく自然にMBAへの挑戦という選択肢を選んだ。診断士試験の一発合格で自分に自信を抱き始めていたし、1年または2年という歳月に対して本気で取り組めば、何でも可能なような気がしていた。MBAも同様だった。

MBAへの挑戦はアメリカ名門校の経営大学院への挑戦と同義だ。その受験プロセスは高度に複雑で、その全容を掴むだけでも大きな時間を要した。英語が必要だった。しかも流暢に駆使し、高度な論文を容易に書けるような英語力が。MBAホルダー及びアプリカントの集まりにも何度か顔出し、情報交換をした。知り合いもできた。

そして財政力が必要だった。2年間で1500万円近く必要だった。機会損失(2年間就労していた場合に得ていていたであろう金銭)を加えると、3000万円にも及ぶのだった。途中から明確に認識できたのだが、MBAはエリートたちの道であった。一流の大学から一流の企業へ。そして社費派遣でMBAへ。わたしは、、、それではなかった。


会社を変える、良くするという夢もあった。診断士を取得し、情報技術に関する専門的な研究の後、会社の問題点が明確に理解できた。問題点は明らかで、それを解決する対策も明らかだった。しかしその対策は非現実的であり、企業の歴史と制約を考慮していなかった。経営陣に伝えたが、意味はなかった。

技術力が直接的で最も大きな問題であった。情報技術の領域は年々レベルが向上しており、われわれもやり方を変えなければならなかった。いままで何とか通用した方法も、これからはまったく通用しなかった。そしてその問題を解決するには、組織構造の変革を伴う、何か大きな対策が必要だった。教育や時間の経過とともに蓄積される経験などでは、対した効果は上げられないことは明らかだった。

経営者であれば・・・、と何度思ったか知れない。また、報酬制度に関する大きな誤りもあった。これも伝えてはみたが、意味はなかった。できるなら仮想の若手取締役会が結成され、経営戦略を論議したかった。5つくらいの効果的な大きな施策が打てれば、ドラスティックに変わるはずだった。しかし、企業は組織によって成り立ち、組織は歴史により成り立つ。そううまくは、いかなかった。


いくつかの夢はあった。それらは敗れ去るか、沈黙した。

Saturday, July 22, 2006

blog - 夢、求めるものについて (2)

それでは「夢、求めるもの」というものについて書いてみよう。少し恥ずかしい気もするが、わたしの内面を描き出し、それを言葉にするということは、大きな決断をする前の必要で重要なステップであると思うのだ。全世界には60億人の人がいる。チャレンジだ。

「夢、求めるもの」という大きな、漠然としたテーマを論ずるときは、部分と全体を分けて考えると効率がよいし、効果的だ。通常このようなテーマはそれを構成するいくつかの領域があり、そのいくつかの領域での内容が大きな全体を構成し、それとともにその全体をまとめる独自の内容がある。つまりピラミッド構造だ。

「仕事」、「家族」、「お金」、「社会活動」、「遊び」、「趣味」、「人間関係」などの領域がそれに上げられるだろう。しかし今回は、そのようなものすべてに言及していては到底時間も足りないし、意味のあることではないから、今回の「大きな決断」に深く関係する「仕事」の領域についての「夢、求めるもの」を話してみよう。

「力強く生きること」。これがまず最初に思いつく。そして「貢献すること」。これは顧客、会社、同僚などへの貢献を意味する。「卓越した成果をみせること」。こういうのもある。わたしは野望に燃え、小さいことよりは大きいこと、簡単なことよりは難しいことをより達成したいと願う青年であった。そして足りない部分があればそれを補完し、勝負はいつでも開始されるのだ。


ロッククライミング、英語。これも同様で極めること。そこに喜びがある。

blog - 夢、求めるものについて

今日は久しぶりに雨の降らない休日だったので、近くの公園でジョギングとクライミングのトレーニングを行った。適切な睡眠、適切な運動が適切な心的態度を形成し、自らの正しい方向を描き出す基本となる。部屋も随分きれいになった。部屋のきれい/きたないは明らかに精神状態とリンクしていた。

さて、昨日の続きに入ろう。昨日、わたしは問題の定義を行い、今までの歴史を少し振り返った。みえてきたこともあるし、まだこれからみえることもある。文章に自分の内面をあらためて書き出すことは、やはりメリットが大きいようにも思う。今日もこれから寝るまでの3時間、一生懸命やるつもりだ。

さて、今の会社ではやはり不満も大きかったことは既に書いた。そしてその不満の本質は何であり、それはどのように解決されうるのかということをまずは述べていきたい。そしてその後、「夢、求めるもの」という大きなテーマにまで踏み込み、何か新しい知見をわたしの中に見出すことができれば。

不満の本質は、アナロジーを使うと、ジーコジャパンの中で中田ヒデが感じた不満のようなもの、とすることができるような気がする。つまりわたしの大いに解き放たれ、上方を志向する精神性が、そのようなものが多くない周りの環境の中で、諦めと、物足りなさと、苛立ちを感じた可能性がある。

「原因」というのは通常、複合的な要因から構成され、それらはお互いに複雑に絡み合い、単純に1つや2つのもので割り切って求められるものではない。ただ、この「求めるものと現状との乖離」は、どうやらその第1の理由であることは間違いないような気がする。だってそれ以外に大きなものは見つからない。

だってそれ以外に大きなものは見つからない。それは素晴らしい職場の人間関係だったり、官僚主義とはまったく縁のないオープンな社風であったり、そこそこの満足できる給料であり、そこそこの満足できる評価であり、いろいろな仕事ができるという可能性の素晴らしさだったりする。他には大きな不満は、まああることはあるが、見つからない。

ではこの「求めるものと現状との乖離」という病気を治す薬にはどのような妙薬があるのだろう?やはり環境を変えてみるというものがまず考えられるところだろう。では、どこに?どのように?──これらの具体的なことを考えるまでに、もう少しこの「求めるもの」というものに対して考察を加えていきたい。


書くことに少し疲れ始めているが、そんなことは大きな問題ではない。

blog - 今の会社について (6)

歴史の続き。


挫折、失敗もあった。特に、上層部に対して直接的な批判を展開した結果、まずい状況を生み出してしまったということがあった。相手も人間なわけだから、そういったものへの配慮が必要だった。状況を適切に理解し、適切に行動する必要があった。

「お酒」での失敗も痛かった。少し(?)だらしなかった。だらしなさからは、リーダーは生まれなかった。範を示すような行動をよりとるべきだった。失敗は認識となり、認識は観念を形成する。わたしはもっとうまくやれたはずだった。

さて、このロング・ドライブもそろそろ終えることにしよう。総じて、わたしは不満を抱えることが多かった。そしてその不満を解決する手はずを少し間違えた。どうしようもない問題もあった。しかしわたしは「上」を見続けており、その可能性は無限だと結論付けることができる。


素晴らしい経験。素晴らしい悩みだった。

blog - 今の会社について (5)

歴史の続き。


中小企業診断士をとったことも大きな出来事のうちの1つだ。7年目の1年でとったが、それは決して1年という期間でとったのではなく、それまでの例えばビジネスへの興味、株式投資での経験などの上に成り立ったものだ。

この過程で、わたしは大きな「武器」を手に入れた。確固たる知識に基づいた科学的な見方だ。わたしは試験科目の細かな領域にとらわれることなく、「論理的思考」、「リーダーシップ」、「コミュニケーション」、そして「戦略」といった広範な学習領域に時間を費やしてきた。本棚が、いつの間にか3つに増えていた。

人は「言葉」を手に入れると、より明確な認識を手に入れることができる。例えば、実際の言葉でいうと、「曖昧」という言葉を知っていると、曖昧なものがより明確に「曖昧なもの」として認識できるように。ビジネス、理論という「言葉」を手に入れたわたしは、今まで漠然としか捕らえられなかったものが、例えば会社の問題点や改善方法などが、より明確に認識できた。

これがブレークスルーとなり、その後のオブジェクト指向やアジャイル開発などへの理解や、英語学習、株式投資などがより確実な成果をみせるようになり、わたしはわたしにより強い自信を抱くようになる。わたしはわたしに可能なことの中に、不可能を見出さなかった。そしてその可能なことの幅を、貪欲に広めた。


世界はもうすぐで手に入った。わたしは夢を見ていた。

blog - 今の会社について (4)

歴史の続き。


仕事の中で、次のようなことがまず発見された。

・わたしにはプログラミングの才能があること。
・理論的な、科学的なものの見方をする傾向が強いこと。
・向上心があり、上昇志向が強いこと。
・ビジネスを理解しており、ビジネス目標を達成する意識が強いこと。
・コミュニケーションの真髄を知っており、リーダーシップを発揮できること。


特に、コミュニケーション、リーダーシップの面で大きな発見が多かった。わたしは内向的な性質を持っているが、組織の中でリーダーシップを自然な形でとることが多くはないが実際にあり、そのことがわたしに新しい可能性を感じさせるきっかけともなった。(自分で言うとバカみたいだがここは冷静に分析しよう!)

そしてこれは仕事ではないが、会社の運動会で、綱引きを勝利に導くような行動をとったということがあった。あのときわたしは確かに「リーダー」だった。チームに方向性を与え、適切なコミュニケーションをとり、みなを鼓舞し、メソッドを正しく運用し、そして勝利を勝ち取った。

これは偶然な驚きだった。まったく予期しておらず、計画もしておらず、準備もしていない中、わたしの本能の中のリーダーシップが呼び出され、勝利という甘い果実をみんなで勝ち取るべく、そのような行動を自然と示した。家に帰っても、その余韻にいくらでも浸れた。気持ちがよかった。

次の運動会ではリーダーシップを計画的に発揮した。監督に名乗り出た。わたしは準備し、計画的に物事を遂行した。圧勝であり、満足できる結果を手にした。もし、わたしがいなければ、厳しい戦いになっていた。勝っていたかもしれなかったが、おそらく負けていただろう。わたしは確かに価値を発揮していた。

(種明かしをすると綱引きには一般に知られていない「戦術」「フォーム」があり、わたしがそれを発見したわけでは当然ないが、それをうまく導入すると、普通のチームに「圧勝」できる。ただ2回目のではその「戦術」は他のチームでも採用されていたが、よりレベルの高い規律だったチームを実現できた点で、われわれに勝利が転がり込んだ)。

実際の職場でも同様のことができた。しかし、当然だが、綱引きとは比べ物にならないくらい実際の仕事/プロジェクトは複雑だから、より高度な能力が要求されるし、うまくいかないこともあった。特に情報システムの構築/導入という仕事は今の世界でも最も難しい仕事のうちの1つのはずだから、色々と難しいことがある。そして1人では難しいこともある。


チャレンジは、もうすぐそこにまで来ていた。

blog - 今の会社について (3)

ちょっと長くなるかもしれないが、歴史を書いてみよう。いいことがあるかもしれない。


学生時代は、何か漠然と考えていた。就職活動も場当たり的で、最初はメーカーの営業志望で活動していたし、いくつかの内定をもらったあと、急遽、このSystems Engineerという職種を選んだ。業界研究の姿勢がなっていなかったし、ひどい状況が生まれる可能性もあった。ただ、結局は、今の会社に入社するという幸運な結果を手に入れた。

大学時代、今思えばもっと明確な態度、目標を持つべきだった。しかし後悔先に立たずで、高校卒業後に出会った「お酒」という不思議で危険な存在との格闘に大きな時間が費やされていた(笑)。1人暮らしをはじめ、映画と出会い、哲学と出会い、恋に出会った。すべてが新鮮で、あれはあれでよかった。あれはあれでああならざるを得なかった。

今使っている英会話のトレーニング本の中に次のような質問があった。この質問に英語で答えるのだった。1000本ノックだ。

・"What did you want to be when you were a child?"(子どもの頃は何になりたいと思っていましたか?)
・"What's your ideal job?"(理想の仕事は何ですか?)


出てきた答えは、、、

・"An office worker. It's not joke. I was a too realist."(サラリーマンです。これは冗談ではありませんよ(笑)。わたしは現実主義者だったのです。)
・"An office worker. It's not joke neither. Or a president."(サラリーマンです。これも冗談ではありませんよ(笑)。もしくは社長かなー?)


思わず笑ってしまった。子供の頃が思い出されて、英会話のトレーニングだったのにもかかわらず、いい経験をした。これはホントに冗談ではなく(笑)、家がビジネスをしていたというのもあったかもしれないが、真面目にいいサラリーマンになろうと思っていた。そこが源流だった。

そして実際わたしはサラリーマンになり、「夢」を実現するべく(笑)、実際の仕事と、自己啓発に励んだ。Windows 95が出た頃で、『ビル・ゲイツ 未来を語る』などを読みながら、熱い気持ちでこの未知のコンピュータ業界に入ってきた。可能性は無限なように感じていた。数学の才能があったから(?)、水を吸う綿のように、新しい知識を吸収していった。


揺籃のときだった。