Thursday, October 09, 2008

blog - 賢明な投資家として

この歴史的な日(日経史上3番目の下落率)に何かを書いておこう。そう、投資哲学とお金に対する考え方を。

わたしが少なからぬ利益を投資から上げていたことは既に書いた。わたしはバフェットの考え方を学び、経営理論を研究し、グローバル経済に関する理解を深めた。ゆるやかな右肩上がりの経済状況の中、わたしはほどよく満足できる結果を残した。

去年の10月からそのトレンドは大きく変わり始めた。中国株バブル崩壊からウォールストリート溶解まで世界中のありとあらゆる市場はその心胆を寒からしめられ、わたしのその少なからぬ利益は本当に少ないものになってきているようだ。

この下落がなかったらよかったと普通は思うだろう。でもわたしはそうは思わない。長い人生長い右肩上がりや急激な下落などいくらでもあろう。わたしはその両方をまさに当事者として経験しえたことに感謝したいと思う。わたしはこの2つの経験でもって真の賢明な投資家となり、これから真の活躍を果たすのだろう。わたしにはまだまだやることがある。

お金に対しての考え方についても少し述べたいと思う。絶対的な(つまりある一時点での)お金の量については人生に対してほとんど意味を持ち得ないのではないかということは以前から思っていたし、まず間違っていないだろう。問題は方向性であり、希望であり、ポテンシャルだ。そしてそもそもお金の大小が人生に及ぼす影響は非常に軽微で、それは一見大きな影響を及ぼしそうだけれども(例:お金があれば海外に行ける。お金があればいい車が買える)、あろうがなかろうが、つまり表面的な結果がどのように異なろうが、その人の人生の本質は何ら変わらない。

本が買えなければ図書館に行くだけだし、アルマーニを揃えられなければユニクロで統一するまでだし、キャビアを食すことができなければ人参ジュースで非常に満足だし、贅沢ができなければ質素な生活で精神を鍛錬し、サーフボードが買えなければ仲間に借り、家に住めなければわが情熱を最大限に燃やすだけだ。少なからぬ利益を失ってもなお心が平静なのは何よりこのような理解をもっているのが理由であり、わたしはそもそもそれらを楽しんでいるのだ。


例えばお金がないときほど大いに使い、その逆も然りみたいな。

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