Tuesday, June 13, 2006

blog - 恐れていた4年間。悪夢が現実に。

惨敗でしょう。後半30分までは良かったっていう人もいるけど、俺には、90分いいところがほとんど見出せなかった。ひどいサッカーしたよなー。ほんとひどい。

前半から暗鬱な気分を拭い去ることができなかった。まったく日本のサッカーをできていなかったからだ。ラッキーゴールに助けられたけど、ヒディング・オーストラリアに完全に手玉に取られていた。

加地が戻って、小野とか小笠原とか巻とかを先発にもってきて、これでちょっとは軌道修正できるかもしれないけど、次のクロアチア戦も悲壮な覚悟で観戦せざるをえないだろう。

「戦略なくして勝利なし」。4年前のジーコの就任から、なんかやばさを感じていた。日韓W杯のときの日本は素晴らしくて、「日本つえー」と感動した。でもこの4年間、あまり見てないせいもあるけど、そのような気持ちを抱くことはなかった。

ジーコは監督としては多分ダメです。後出しジャンケンみたいな意見で悪いけど、ずっと思っていたし、野球でいう長嶋監督みたいな存在だと思う。ブラジルやアルゼンチンの監督だったら、それでもダメだと思うけど、もっとましな監督になっていたのだろうと思う。

日本にはロナウジーニョみたいな化け物はいないし、これからも10年くらいは生まれないでしょう。だからそのようなサッカーの申し子の才能に頼るような戦略を今の日本でとるべきではなく、トルシエじゃないけど、日本人の国民性(*)に根ざしたような戦略をとるべきだった。

例えばロッテのバレンタイン監督なんて、陽気な人心掌握術が強調される側面も多いけれど、実は彼ほど緻密な野球理論を駆使してチームを監督している監督はいない。何事にもバランスは必要で、選手の自主性や創造性は確かに重要で発揮させるべきだけど、いい意味での「型にはめる」ような戦略も必要不可欠なのだ。

もう昨日の夜から考えることはサッカーのことばかりだ。この4年間の思い出のことばかりだ。サッカーを見ていると楽しくて、人の動きが予測できて、戦略性を考えるよい時間になっていた。選手やチームの知識はあまりないけれど、みながそうであるように、一旦サッカーをみるとなるとにわか評論家じゃないけど、一家言を持つ近い将来大きな組織を「監督」するべく活動する、世界経済を予測する、分析家としてのわたしがいる。

まあ、いずれにしても、次は勝つしかない。アンチジーコ派としても全力で応援する覚悟だ。しかしそれとともに、次の4年間の、このW杯をバネにしての、大きな飛躍をわたしは願って止まない。だって、人口1億、Jリーグ、経済大国、そして国民性といった要素を考えると、アジアの王者にとどまらず、「日本のサッカー」を世界に対して強く示せるようなポテンシャルがあるんだものこの日本には。


(*)
ここでいう日本の国民性とは「規律」「器用さ」「クレバー」「気合」など。

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