Wednesday, June 28, 2006

blog - 『若きウェルテルの悩み』について

ブログというのは面白いメディアだね。日記のようで、まあ日記だ。10年後ないしは30年後、これを見たときの感動を思うと、いろいろと書いてみたくもなる。それはそうとこのブログを誰が見ているかは既に知らない。知人、友人に教えてきたけれど、既に旅行記の範疇からは外れている。

『若きウェルテルの悩み』は、わたしの生涯の中でも、カバーがボロボロになるまで読み込んだ数少ない本のうちの1つだ。大学の1年のときくらいに出会い、もろもろの成長とともに、ウェルテルの悩みに共感などしたっけ。

ゲーテはすごいと思う。すごい文章を書く。新潮文庫の『若きウェルテルの悩み』の訳者は素晴らしい翻訳をしたけれど、今英語で読んでいるんだけれど、躍動感というか、理知的というか、情熱的というか、何度読んでもその文章に飽きが来ない。飽きが来ないというか、ますますその輝きが増しているようにすら思える。

聡明な青年ウェルテルは、婚約者を持つロッテとの運命的な出会いによって、彼は彼の人生を生き、そして小説の後半で自らの死を選ぶ。そういう単純なストーリーだけれど、この本は書簡形式になっているんだけれど、彼が書く様々な文章が若いわたしにもとても刺激的だったし、今読んでも、素晴らしい洞察力を持って書かれたものであるということがわかる。

『若きウェルテルの悩み』は、70年後、わたしの生涯を終えるときに振り返っても、最も素晴らしい本の中の1冊に選ばれていることだろう。なら言おうか。彼の青春のほとばしりを。彼の才能の一片を。彼の素晴らしく、研ぎ澄まされた文章力を。わたしは彼のような文章を英語でいつか書いてみたい。

「幸せなのは毎日自分に向かってこういえる人だけだ。お前は友だちに何もしてやることはできないぞ。友だちのたのしみの邪魔をせず、友だちと一緒になってたのしむことによってその幸福を増してやる以外は。それともお前は、友だちの心がせつない情熱に苦しめられ、愁いに揺り動かされているときに、一滴の鎮静剤を与えてやることができるのか。」


まったくトンチンカンな抜粋だけど、この本を何十回朗読したか知れない。だから英語の本を読むときも、難しい単語を調べつつも、すんなりと頭の中に入っていくのだ。この本に出会えたことを感謝したい。何十回も読むに値して、しかも声に出すことに何らの躊躇もしないような素晴らしい文章で、これほどわたしに価値を与えた本はない。

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