Saturday, December 09, 2006

China - [Day4] ホテルを見つけ、孔廟、雍和宮へ


(※4泊目のホテル)

まだ見てないところはどこかな?

孔子を祀った孔廟と、チベット仏教寺院の雍和宮を見てから、北京動物園、北京大学、イン和園を見に行くことにする。すでに足は過去最高の痛みを発しており、もうずっとびっこだよ。空港で走り回ったことで、さらに悪化した模様。自重が必要である。

ということで薬局で湿布とリップクリームを買った後、タクシーで孔廟を目指す。ここも工事中だった。まあ、「まあ」という感じだった。チベットの方も同様。


(※Confuciusのメッカ?)


(※チベット。お祈りしている人と、観光している人と)

China - [Day4] 北京最終日。空港へ向かい、あわてる


(※朝、出発前にホテルの前で)

昨日の晩はテレビなどを見てゆっくりと過ごし、睡眠も十分にとった。2日間など早いものだ。北京発9:05の飛行機にのって、午後の1時くらいに成田につくことになる。実質2日しかない旅だったが、非常に充実感を感じていた。何かが生まれそうな気がしていた。

7:30くらいにホテルを出たのかな?タクシーに乗って、渋滞にハマりながら、ちょっとまずいかもと思いながら8:20くらいに空港に着きました。カウンターに行く前にお土産を2、3つ買って、いざNorth Westのカウンターを探してみると、ない。いろんな人に聞くけど、要領を得ない。慌てはじめる。

出国ゲートの強行突破を図るも、ボーディングパスがないと駄目ってことで追い返される。もう一度落ち着いてNorth Westを探す、聞くと、カウンターはClosedしていて、What should I do?と聞いたら、3FのOfficeに行けってことだったから、これまたあたふたしつつエレベータを探して、そのオフィスに行った。


そしたらそこで最終判決。「あなたは今日、その便に乗ることはもうできません。遅刻です」。「そしてわれわれは一日に一便しか運行していないので、明日または明後日の便に乗ってもらうしかありません」。「ただ、明日の便は満席なので、明後日になりますでしょうか?」。「JALなどの他社の便を使うとなると、正規料金がかかりますから、10万円くらいになります」。

という感じだった。結局、翌日の便で帰ることにして(追加料金はかからず)、オフィスを後にした。前回のロンドンのときもこんなことが起きたっけ。とりあえず国際電話で会社に翌日出社できない旨を伝え、スターバックスで小一時間ボーっとする。まあしょうがない。ホテルを探して、北京動物園だとか北京大学、■和園(いんわえん)を見に行こうか。ま、適切に気持ちは切り替わる。俺もやるもんだ。


※■は臣っぽいへんに頁


(※空港内のスターバックスにて)


Let's go!

Friday, December 08, 2006

China - [Day3] 夜のしゃぶしゃぶ屋にて


(※羊肉しゃぶしゃぶ。これで8元だから驚きの安さ)

モンゴルからの影響で、北京には羊肉しゃぶしゃぶ屋が多いみたい。『地球の歩き方』に書いてあった北京で一番店に足を運ぶ。本来なら歩くが、足が痛いのでタクシーで。(タクシーって俺ホントはすごいきらいなんだけど、今回はまあよしとしよう。安いし。←初乗り10元、日本の1/4くらいかな)

上でも書いたけど、現地の普通の人たちが来るお店だから非常に安かったわけだよね。羊ばかり食べていたら50元もいかなかったでしょう(俺はなぜか牛の高いものを頼んでしまい、100元くらいになった。それでも安い)。

店の名前は宏源■肉城(こうげんせんにくじょう)。天壇公園の南にあります。ガイドにも書いてあったけど、日本語、英語、ほとんど通じません。俺も成田で買った中国語本を指差しながら会話しました。ま、食べ物屋での会話なんてジェスチャーとかでも大体通じるんだけどね。

とても混んでいました。俺も1時間待った。食べ物屋で1時間も待ったのなんて生まれて初めてかもしれない。時間があったのと、待っている間も人間観察や語学勉強で苦痛にならなかったからだ。外人はたぶん一人もいなかった。全部現地の人。この1時間が貴重な人間判断の時間になったと今思う。

あとね、料理はうまくてダイナミックでとてもよい。あと、店員さんも、気さくな感じで、若者が多くて、とても楽しかった。もう少し中国語ができれば、もっと楽しかったのに。そう思った。ホテルに戻ってから、とても貴重な時間を過ごしたんだなあと、何か温かい気持ちになりながら振り返った。写真を一緒に撮ってもらえばよかった。マジで後悔した。


※■はさんずいに刷

Thursday, December 07, 2006

China - 「どちらが性善説で、どちらが性悪説か」



これがわからなくなった。

自由主義は性善説で、統制主義は性悪説であるというのが一般的な見解だろう。そうだろうか?

最も純粋な状態で生まれてきた子どもたちは、一体何を見るのだろうか?大人の嘘だろうか?それとも静寂だろうか?

子どもたちがすれて、暗闇へと飲み込まれていく。何が原因だろうか?巨大な靄だろうか?裏切られた鉄槌だろうか?


どうやらわたしは、別に危険思想を持つに至ったわけではなく(笑)、中国の現地で見た中国の若者たちの輝きに心を動かされたようだ。そして無意識にその真因を探り、それぞれの政体の差異にそれを見つけたのだ。

子どもたちにとっては、矛盾のない世界が何よりの成長土台であると思われた。知事の汚職が次々と発覚し、大人たちは享楽に溺れ、銃とナイフが現実を切り裂くような環境では、目標を見失い、目は死に、退廃的な笑いに堕ちるしかなかった。

規律が必要だったし、そうすれば、性善説でもって子どもたちは守られた。わたしは中国の若者たちの目の奥に、その光を見出したのだった。貧しく、洗練もされていないが、何か強い、素朴な、純粋さの光を持っていた。そしてそこには、大陸的な何かが宿っていた。


わたしはわたしの夕暮れの中で感じた感触を、一生忘れないだろう。忘れてはいけないだろう。

China - [Day3] 盧溝橋、抗日戦争紀念館、そしてしゃぶしゃぶへ


(※タクシーの中から、郊外の風景?)

足も痛いし、タクシーを拾い郊外の盧溝橋へ(40元くらいか) 。盧溝橋は、日中戦争がはじまったあの盧溝橋事件が起こった場所なんだけど、まあ橋しかなかったね。銃弾のあとがあるって聞いていたけど、それも見当たらなかった。次を目指そう。




歴史の勉強ってことで、抗日戦争紀念館を訪れる。盧溝橋と同様にここにもあまり人はおらず、気合を入れてきた分、何か肩透かしをくらったような気分だ。中にはいろいろな戦争の資料が展示されていて、最後は日中友好のコーナーで締めくられる。(多くは中国語なので細かい内容はほとんどわからなかったけど、相手国がどのように考えていたかは明確に感じられた)




北京中心部へ戻ろう。今度は路線バスで帰るつもりだ。地名がほとんどわからないから「はじめてのおつかい」状態だが、頭をフル回転させて適切なソリューションを見つけ出す。いい訓練だ。そして、この郊外から市外に向かうバスの中で夕暮れを迎え、なにやらとても気持ちいい時間を過ごした。その夕暮れは地元の中国人の中に揉まれながら、ある郷愁へとわたしをいざなったのだ。




さあ、次はしゃぶしゃぶ(羊)だ。

China - [Day3] 前門大街を通り、3泊目のホテルへ


(※天安門広場の南端、正陽門)

天安門広場を抜け、前門という門?を抜け、北京一の繁華街だと言われていた前門大街へと足を踏み入れる。 そしたら、全面工事中だったね。ま、ここに限らず、おそらく北京オリンピック(2008年)に向けていたるところで工事が行われていた。2008年に行ったら、また別の趣があるのだろう。

そして下のような浅草のような商店街をさらに抜け、ホテルを見つけ出した。一泊400元だった。


(※っぽい商店街、大柵欄)


(※3泊目ホテル。新北緯飯店)

China - [Day3] 今日はホテルを探し、歴史を学ぶ

事前に予約していったのは1泊目と2泊目だけだから、今日泊まるホテルをまず見つけなければならない。事前の予想に反して、ホテルでは英語が使えそうだからためらう必要はない。英語の勉強をかねて、存分にやってやるべきだ。飛び込みだ。

天安門広場を縦断する。広いといっても100M×500Mくらいだろうか。毛沢東記念館には荷物を持っていたから入れなかった。下のは何とかの塔。




今日は南半分の探索と、歴史を学ぶ日。そう、盧溝橋、そして中国人民抗日戦争紀念館を見に行くのだ。歴史を、反対側から見てみるのだ。

blog - とりあえず書き残す

1千万を超えた。


より、攻めに転じよ。

China - [Day3] 足が痛い。。。


(※1泊目、2泊目のホテルの絵)

3日目、朝起きたら、足が痛い。。

ニューヨークで痛めたところと同じ場所だ。ショック。。

左足の甲の横というか、なんていう名前の場所なんだろう、普段痛くなりそうもないような場所で、歩くたびにピクッと痛む。持病的なものになっていたのか。。

体力的には絶対的な自信を、酒をやめたこともあり抱き始めていたのだが、どうやらそういうわけにもいかなかったようだ。特に左足のこの名も知らぬ筋肉のケアには今後、最大の注意が必要だろう。


しかしまだ3日目。わたしは止まるわけにはいかないのだ。歩き続けなければならないのだ。


(※朝の北京。おはよう。)

Wednesday, December 06, 2006

China - [Day2]2日目はホント歩き回って、ホテルに着いたのは12時くらい



30、40Kmは歩いたのだろうか?

上の写真のような美しい場所を歩きながら、といいつつ東京やロンドンに比べると美しくないのではあるが、デパートのようなところや、人の動きを見つつ、北京中心部の北半分を踏破しようとしていた。ロッククライミングをしているだけあって、その歩みは快調だった。1年で海外3回目は伊達ではなかった。

夜は北京ダックを食べることにした。なにか北京らしいものを食べたかったからだ。『地球の歩き方』に載っていたレストランで北京ダックは一番的なお店に向かい、それは市内東北部にあったが、8時くらいだったのかな、店に着きました。

ちょっと待って、席に案内されて、一人で食事するのが浮いてしまうような絵に描いたような高級中華料理屋で、メニューに目を通し、予定通り88元の北京ダックを注文した。そしたらよ、店員の女性がよ、何か言うからさ、聞いてみたら、あまり英語が話せないようでうまく意思疎通ができなかったんだけど、北京ダックだけじゃ駄目みたいなのね。つまりコース的にいきなさいということだったのね。

だから、しょうがないから指で指し示されたフカヒレの何とかと、なまこみたいなものを一緒に頼んだ。


(※フカヒレか)


(※なまこならむサメのひれか)


実はお腹があまり空いておらず、つまりその日はマックと鶏丼とケンタッキーフライドチキンを食べていたからなんだけど、フカヒレは無理して食べたけど、なまこみたいなもの(Shark's finって書いてあったからサメのひれか)は残した。こういうのはあまり好きではない。

北京ダックも、フカヒレのせいで食べるの実はつらかったんだけど、初志貫徹で何とか完食した。お腹が空いていないときにレストランに来るものじゃないと思った。今後の反省材料としよう。さて、最後にショッキングな写真を掲載せざるを得ない。ビールを頼み、一杯飲んだのだ(詳細については一章以上を割かねばならないだろう)。


(※北京ビールか)


結局全部で400元くらいした。北京人の商魂、侮るべからずだ。(というかこれには痛い目に会い続けることになる)

Tuesday, December 05, 2006

China - 「英語 - 世界へのパスポート」

という変な題名をつけたが、英語はやっぱりいい。

英語はやっぱりどこでも通じる。中国でも、30歳以上くらいはたぶん通じないが、若い人はたとえ片言かもしれないけど、英語を勉強して来ているからなんとなく通じる。そして大きなデパートやホテルなどの人は大抵英語が通じる。だから今回、言葉には全く困らなかった。

わたしの英語力はまだまだだが、これからも大いに勉強してやろうと思ったものだ。英語が手に入れば、自動的に世界も手に入るわけだ。ほぼ世界中の人々とコミュニケートできるという切符が、手に入るわけだ。そこに中国語などの現地の言葉を少しからめなさい。今までとは次元が異なったコミュニケーションレベルへとあなたを導くであろう。


世界を知ることは、とても重要なのだ。

China - 「大陸的人生について②」



日本人にはない気質を、中国人の中に見出したような気がした。「大陸的気質」。

雄大さであり、緊張であり、るつぼであり、広さだ。

大陸的知見を、わたしは中国大陸で手に入れた。

China - 「国家統制主義について③」



ただ、中国人が他の民族も洗練されているだとか、誠実な民族だとか、そういうことを言うつもりはない。2秒に一回は道路に唾を吐く彼らの姿を見たし(店の中でも唾はいてたよ)、タバコは所構わず吸うし、運転は極めて乱暴、クラクション鳴らし放題。基本的に田舎者だ(失礼)。

でも忘れられない。3日目のしゃぶしゃぶ屋での彼らの笑顔、人なつっこさ。初日にわたしを助けてくれた人。若い人たちの学習意欲。(ある本屋では一階まるまる英語の学習本コーナーだった。英語もよく通じた)。質素な立ち振る舞い。ここ20年で大きく中国は変わるだろう。


売春が死刑になる国。素晴らしいじゃないか。

China - 「国家統制主義について②」



もう率直に語ろう。

民主主義の弾圧。国家による情報統制。Googleから除かれるキーワード。中国の政体、政治に関してはネガティブなイメージが強いだろう。わたしも同じように感じていた。自由こそすべてだと。言論の自由だと。本当だろうか?

Googleから漏れる汚い言葉。止まらない犯罪。極めて非人間的な活動が行われる極めて日常的な夜の街の風景。へどが出そうだ。何様のつもりなのか。このやり方が本当に正しいと、間違いなく言えるのだろうか?

わたしは中国人たちの仲の良さそうに連れ立って歩く姿や、腕を組んで歩くカップルや女性同士、そしてその静寂さが好きになってしまったのだ。夜は早く、酔っ払いや、魔法使いたちは見当たらない。本屋には人があふれ、難しそうな漢文を老若男女、一生懸命見入っている。

郊外からの混んだバスの中で見た搭乗員の若い男性の力強い視線(写真を撮りたかったほどいい顔をしていた)。若い女性たちの質素な姿と、そのひたむきさ。わたしは、涙が出そうだったのだ。考え込んでしまったのだ。


何かとてつもない大きな過ちをわれわれは犯し、見過ごしてきたのではないか。

China - 「社会主義ないしは国家統制主義について」



中国の今の政体を一体なんと呼べばいいのだろう。 社会主義でもあり、資本主義でもある。最も新鮮な感覚は次のようなものだ。「国家統制主義とは一体なんだろう?そして穏やかな統制は、非難されないべきではないだろうか?」

中国では、売春や麻薬の売買などは死刑になる。そのすぐれた公共交通システムは、極めて格安に市民に開放されている(バスは1元、地下鉄は3元。それぞれ15円、45円)。漫画は一切本屋に置かれておらず、下品な中吊り広告もなく、少年少女は極めて明るい表情をしているようだ。


彼らは、極めて明るい、純朴な表情をしているのだ!

China - 「第三言語 - 中国語について」



1つ決めたことがある。

「中国語がわたしの第三言語となる」。つまりわたしは今まで日本語、英語と勉強して来ているわけだが、次は、俄然中国語を勉強すると固く心に誓ったわけだ。

まず、わたしは中国に魅せられた。理由は後述していくが、日々の生活の中で中国語を使う機会が近い将来やってくるだろう。わたしはそれに備える必要がある。

片言でも、中国を話すことはなんて楽しかったことか。それは笑いをとれたからというのが一番大きかったわけだが、それでも、新しい言語を学ぶということは、わたしに新鮮な喜びをもたらしていることも間違いがなかった。

そして英語と中国語の相性も非常に良いのだ。そして忘れてはいけないことは日本語と中国語の相性だ。この3つがつながるとき、そこには大きな力が宿るだろう。大きな力には、大きな責任が伴うであろう。


言いたいことはこれだけだ。「それに備えよ。集中し、備えよ」

China - 「大陸的人生について」



要は、写真を切り貼りしながら旅の経過を書いていくのが少し面倒くさくなってきたわけですよ。だから、そっちの方はまた後日やるとして、なぜならそれは写真が残っているから思い出すのも楽なわけだからだが、今一番大事なことは、今まさに感じているこの感情を文字として残し、後世の人々に伝えることだと思うわけだ。

一番印象的な言葉は、「大陸的人生」という言葉だ。自分で勝手に考えていただけの言葉だが、中国及び中国人を語るとき、そこには必ず「大陸的」という要素が加わることになるだろう。そして、「大陸的人生」または「大陸的思想」というものが、中国いる後半から特に、わたしの頭の中でリフレインを起こしているのだ。わたしは中国とともに決意したわけだ。「大陸的」に生きると。


大陸的に生きると。

China - [Day2]王府井と西単。2つの繁華街で感じたこと



まあ、王府井(おおふい)というところと西単(せいたん)というところが北京の二大ショッピング街らしいのだが、それぞれ北京の銀座、原宿と呼ばれているらしいが、まああまり期待してはいけないだろう。彼らはまだこれからだ。ふむ、所々で杏飴みたいなのが売られている。1元くらいか。




まあですね。今から思えば「どこに行った」とか「どこを見た」とかはどうでもいいことでですね。わたしはこれから中国の本質、旅の本質というものについて大いに論じていきたいと思うわけですよ。まあ旅自体は、これから北海公園を通り、景山公園を脇目で見て、前海を抜け、三里屯を駆け抜け、北京ダックを食べたわけですよ。


(※撮り方が悪い。フラッシュは使った方がいいね)


北京ダックを食べたわけですよ。

China - [Day2]いきなり核心、天安門と紫禁城



まあ天安門をくぐって、故宮博物院(Forbidden City)に入場する。一人40元なり。まあ上の写真のような建物や、下の写真のような美術品が飾ってあったりするわけだが、 前の英語先生のNicholeも言っていたような気がするが、確かにBoringのような・・・。




まあ、写真をその正門の前で撮ってもらったりしたが、この辺は深くその歴史や背景を知らないと、本当には楽しめないのでしょう。いる人たちは、圧倒的に中国人が多かった。観光のオフシーズンというのもあるかもしれないが、確かに中国人が一番楽しめるところでしょう。彼らは熱心に見入っていた。

China - [Day2]北京中心部、及び北部を攻める


(※1発目の写真)

なんか眠いからよく寝て、10時にホテルを出発。目指すは天安門!

まず、街中を歩いてみて感じたことを書いてみようか。

・車が予想より多く走っている。
・街は予想よりきれい。よく舗装されている。
・ゴミがほとんど落ちていない。
・車道が広い。まあ大きな道路だけだが、片側5車線くらいある。
・NYとLONDONと東京を足して3.5で割ったような?感じか。


まあとりあえず北京駅から東に向かい、いよいよ天安門が目の前に広がるのだった。

China - [Day1]要はある人に車で送ってもらったのだホテルまで



北京空港に22:00くらいに着いて、普通の人は、というか普通の観光客の方々はタクシーに乗って自分のホテルまで行くのだろうけど、観光客ではないわたしは庶民の足であると思われたシャトルバスに乗ってホテルまで行こうと思っていた。チケット売り場まで多少てこずったが(変なタクシーの客引きに引っかかった)、16元(1元約15円)でチケットを買い、バスに乗り込んだ。

第一の失敗は、わたしは③番のバス(北京站行き)に乗る必要があったが、なぜかはよくわからないのだが「こっちが③番だよ」と他の観光客に呼ばれて、おそらく②番のバスに乗ってしまったことだ。これにより、北京駅ではなく、まったくわけのわからない場所(4日目にそこが西単であることを知った)に降りる羽目になった。

そこで降りて、途方にくれて、というかそんな暇はなく、急いで英語で運転手の人に話しかけた。そしたら英語がわからなさそうで(※英語と中国の関係については『英語、それは世界へのパスポート』の章を参照)、そっちの人に聞いてよみたいな仕草をされた。話しかけてみたら、そしたらその人は係りの人でもなんでもなく、バスの乗客で、彼も家に帰るところだった。

「北京駅に行こうと思っていたんだ」と話すと、「案内してあげよう」とのことだった。しばらくして、「北京駅に行ってどうすんの?」と質問されたので、「実はこのホテルに行きたいんだ」と地図を見せた。そしたら何やら気難しい顔をして、「うーん、難しいかもね。俺、今から車で家に帰るから、送ってあげようか?」とのことだった。

30代前半だろうか。落ち着いた感じの理知的な男性で、その親切を断る理由はなかった。事件簿が頭によぎったが、シチュエーションから判断して、そのような悪いことはおきえなそうだった。そう思ってその方にお願いし、無事ホテルまで送ってもらった。上の写真はその方の会社(写真は後日とった)で、ここから車でホテルまで行った。結構遠かった。


握手し、名刺をもらった。素晴らしい方だった。頭をガツンとやられたような感じだった。「中国とは、中国人とは」を考える上で、忘れられないファクターになりそうだった。世界は広い。

China - [Day1]初日に発生した3つの大きな誤算。そしてこの旅の方向性を予感させる大きな出会いについて。



初日に大きな3つの誤算、失敗があった。

1つ。iPodが空港に向かうために乗った中央線の中の始めの再生のときにハングアップした。前日に中国語学習のPodcast(英語<>中国語)をたらふく仕込み、中国に着くまでの推定5時間をその学習にあてようと思っていた。iPodを呪い、運命を呪った。なぜにこんなときにこの場所で、わたしのiPodはハングアップするのか?!

2つ。北京国際空港で両替をし忘れた。成田空港で1万円だけ両替していったのが逆に災いしたのか、到着ゲート内の銀行を素通りしてしまい、両替できずじまい。1万円で中国の旅を過ごすのか。もう心細くてしょうがなかった。

そして3つめ。これが最大。日本から事前に予約していたホテルの地図が間違っていた。間違っていたというか、Google Mapで場所を地図上で特定させてから、念のため異なる縮尺で3枚ほど地図を持っていったんだけど、こともあろうか、そのポインタの場所が間違えていた。大きく西の方にずれていた。


前の2つなんて今から思えばどうでもいいことで、大した問題ではなかった(でもiPodで勉強できればもっと良かったかも。詳しくは「中国語と私」の章で)。3つ目の、地図の問題は、もしかしたら一泊目を路上で過ごさなければならないような大惨事につながるような誤りだった。厳冬の北京で宿がないということは、よければ瀕死の状態に自らを追い込むようなものだ。これは今考えても冷や汗ものだ。

では何が起きたのか?何が起きて、わたしは無事に宿にたどり着き、ベッドの中で安眠をとることができたのか?そこでの出会いが、わたしと中国を結びつける一つの大きな予感となったというのは一体どういうことなのか?今振り返って、それにはどのような意味があったのか?


これらを次に述べていきたい。世の中というのは不思議なものだ。

China - How wonderful China is, the world is.



12/5(火)15:30、帰宅する。素晴らしい旅が経験され、自然と笑みが漏れるような、熱いものが胸からこみ上げるような、そんな感じ。ただ、それと同時に、哀愁と空虚感も感じた。

ともあれ、12/4までの予定が12/5までとなり、すなわち4泊5日になった私的大中国旅行をこれから振り返ってみたいと思う。"How wonderful China is!" これが帰国後の第一声だった。


旅は素晴らしかった。

Friday, December 01, 2006

China - 「旅の計画」

おつかれ。旅の計画をまとめようと思う。出発まであと30分、仕度もしなくちゃね。

■旅の目的
・視察(For research, not for sightseeing)

■旅の計画(ToDo)
・万里の長城(The Great Wall)は微妙。1日かかってしまうから。
・天安門だとか紫禁城だとか、北京市内のスポットは一通り見るつもり。
・中国語(Mandarin Chinese)は行きの電車と飛行機の中で勉強。あとは夜のホテルで。
・1日目は市内をくまなく歩き回る。マックだとか、スターバックスだとか、北京ぽいところだとか、人の動きを見る。大きなうねりを感じる。
・あとはニューヨークとロンドンのような感じでいい。服装も結局同じになるっぽい。


じゃあ、さよなら。レッツ・ゴー!

Tuesday, November 28, 2006

blog - Aim for Perfect



満点を狙いなさいと。満点を狙うような姿勢で勉強を続ければ、900点を超えることなどたやすいと。極めてたやすいと。そう、My Tutorはおっしゃった。

では、、、やってみようか。


■方針(Vision)
・次回または次々回のTOEICテストにおいて満点(990点)をとる。
・そのための、一切の努力を惜しまない。ためらわない。
・スピーキングとライティングをからめ、一人前のEnglishになる。

■計画(Plan)
・平日5時間のペースをずっと続ける必要があるだろう。
・休日は英会話を中心に、幅広い活動を行っていくべきだろう。
・朝(6:45 - 7:15)にディクテーション(TOEICマテリアル)
・電車の中と昼食時はメインディッシュ(今は文法本)
・定時後にお茶がてら1時間
・夜はブログ(英語)、メール(英語)、読書(英語)、発声練習(英語)など

■ポイント(Point)
・ディクテーションを徹底的に続けること
・文法を完璧にすること(ノートを活用すること)
・語彙を増やすこと
・スピーキングを次のレベルに押し上げること
・英語を書きまくること
・洗練さを求めること


Let me do it!

Sunday, November 26, 2006

blog - The 127th TOEIC test

感想。そして次回に向けて。

・パート3と4と7は完璧。もう何も準備する必要はない。
・問題はやはりパート2。リスニング力をさらに向上させる必要がある。
・文法と語彙を強化させる必要あり。文法本の後、多読で力をつける。


予想レンジは850-900。リスニングは間違いなく前回より上がるでしょう。英語は続く。どこまでも。

Friday, November 24, 2006

blog - TOEICが終わってからやること

あせらないように今から書いておこう。

・英語、さらに次のステップへ
・中国、そして世界へ
・投資、年明けに機敏に動く
・クライミング、限界を押し上げる
・変化、決めるところは決める
・日本語、日本語の再構築
・交流、スタンスを変化させる


くらいか。さて、順々にみていこう。

■英語、さらに次のステップへ

やること以下。

・文法最終強化
・多読!
・SPEAKING & WRITING


まず、文法の名著であると思われる『TOEFL TEST対策完全英文法』を読み直し、勉強しなおす。本当は今回のTOEIC対策にやりたかったんだけど、結局時間がなかった。30時間はかかるだろうからね。

そして多読というか本をいろいろと読もう。とりあえずSalingerのCatcher in the Ryeあたりに的を絞る。仕事に関わる本、そして購入済みのコーチングに関する本も読む。水を吸う綿のように、極めて効率的に脳に染み渡るだろう。

スピーキングとライティングの対策も立てておく。スピーキングは英会話レッスンの継続。時間を増やすことを検討。そしてライティングについてはブログ以外に何らかの機会を増やすことを検討。今も会社でこっそり英語で書いている文書があるが、そのようなことを増やす。

ともあれ、実は1月もTOEICテストを受けるつもり。明後日のTOEICテストで900点いきたいところだけど、いってもいかなくても1月のテストは受ける。それがけじめ。英語学習の総決算。よって、あと2ヶ月は英語漬けと思いなさい。


■中国、そして世界へ

12/1(金)~12/4(月)に予定されている北京への3泊4日旅行(視察)。実質2日しかないからかなりの強行軍となるだろう。ただ、見れるところについては徹底的に見てくるつもりだ。独自の視点で、鋭い視線で、革新的な視点で。

「人生は旅だ」と中田氏は言ったが、実はちょっと彼のことを忌々しく思っている。「世界を巡る」とか言うと中田氏のことを真似していると思われる可能性があるからだ。

ただ、賢明な読者の方々は知っているはずだ。中田が引退するより半年以上も早くわたしは世界へのたびを誓っていたことを(笑)。そりゃ規模は残念ながら彼のものに劣りはするが、気合や、構想などは負けはしない。

ということで2月にインドに行けるか行けないか。また、長期的な視野をしばらく醸成することにする。来年年初にこのへんの計画を立てよう。


■投資、年明けに機敏に動く

現在きわめて順調。円高を機敏に捉え、中国市場にさらなる投資を行う予定。日本市場に比べて伸びしろが全然違う感じ。当然リスクはある。しかしリスクはとるべきときに、またはとれることができるときに果敢にとるべし。投資哲学。

実は中国市場以外にポジティブに思っている市場はない。インドも検討はしたが、厳しい部分がある。ベトナムもいいかもしれないが、どうも信用しきれない部分がある。米国もいいにはいいだろうが、あえて競争が厳しいところに突入することもあるまい。


■クライミング、限界を押し上げる

現在週2~3回、ロックジムに通っている。でも、今、実は限界を感じ始めているのだ。ボルダリングで4級、リードで11(イレブン)が大きくわたしの前に立ちはだかっている。これらを乗り越えるためには、今までの限界を打ち破らなければならない。

何か革新的な手法を導入しなければならない。階段の2段飛ばし、クライミングあとの肉食、週2回のストレッチ、懸垂、倒立。現在行っているこれらを上回る?ようなトレーニング方法なり栄養法を取り入れなければならないだろう。菜食に移行して2キロやせてみるとか、水泳を毎週1キロ泳ぐとか、そんなことろになるだろう。


■変化、決めるところは決める

「変化」と書いたが、これは伏字みたいなものだから予想がつく人は他の2文字に置き換えて読むように。そう、わたしは変化しなければならない。これこそ、今年の、そして来年の最大の出来事になるだろう。わたしは変化し、成長する。

わたしは果敢に変化し、機敏に行動する。大政奉還を成し遂げた坂本竜馬の機敏さとスケールの大きさにはかなわないかもしれないが、それでもわたしは果敢に変化し、機敏に行動する。夢の実現、福利の向上、一歩一歩の重み。わたしは変化する。


■日本語、日本語の再構築

これも必要だろうね。英語勉強にかまけて随分となおざりにしてきたからね。そうだな、難しい本を一冊読もう。自然科学かなんらかの社会学にしようか。知らない言葉がたくさん出てくるものを選ぼう。

どれだけわたしの言語的能力が向上しているか。どれだけ日本語と英語の相乗効果がみられるか。そしてリーダーシップをとっていくために必要な日本語能力とは何か。それらを見極めていこう。


■交流、スタンスを変化させる

明後日のTOEICテストは大きなスタンスの変化を生じさせる極めて重要度の高い一日だ。わたしは交流に関するスタンスを変化させよう。それはつまり、人との付き合い方を変えるということだ。今まで自分の成長というものに向いていた一切の視線を、周りに、人々に、友人に、そして愛すべき人?にそそぐのだ。

これはもう数年前から計画してきたことだ。インサイド・アウトを効果的に実現させるための大戦略だ。日露戦争の日本海海戦における大転回のような大胆さを持つものだ(詳しくは『坂の上の雲』参照)。わたしはようやく31歳という時期に、アウトサイドを強化させるのだ。プレゼントするのだ。コミュニケートするのだ。スピーチするのだ。


That's it.

Monday, November 20, 2006

blog - 登山の効用

ふと思い出したので書いておこう。なぜ人は山に登るのか。

わたしには次のように思える。「人は山に登る。それは、山に登ることができることを証明するために登るのだ。一歩一歩のその歩みが、ふもとからは想像もつかなかった高みへと結局は自らを押しやることになり、また、いつ着くとも知れぬその終着点にいずれは到着していたことを、人はあらためて思い知るのだ」。


その一歩一歩が、結局は自らを望む場所へ押し上げるのだ。

Sunday, November 19, 2006

blog - 更なる挑戦

成長がとまってしまうとやっぱり面白くないわけだ人は。英語もしゃべれずに何が俺だと思ったわけだ俺は。熱中できることを求めること。尊敬し、認め合える人たちの中で働くこと。もう何年も、いや十何年前からわかりきっていたことだ。

それは明らかだ。非常に明らかだ。

Friday, November 17, 2006

blog - I'm sorry



November 26thのTOEICまであと1週間強。悔いを残さず、やれるところまでやろう。

何かを得るために何かを捨てなければならないとしたら、わたしはそうせざるを得ないのだ。30まで生きてくれば自分が何者で、どのような選択をすべきなのかということはわかっている。

わたしはその天井にはNOよりYESを、休むよりは登り、安泰より挑戦を、表面より本質を、言葉より沈黙を、世界の福利に資するため、わが能力を最大に発揮し、希望のようなものを、ユーモアを、本当のものを、そこに光を。


もう何もいらない。やるべきことをやる以外、もう何もいらない。

I'm sorry about that.

Wednesday, November 15, 2006

blog - ディクテーションは続く



最終的にはフレンズのディクテーションをしようと思う。

■今:
TOEICの教材

■次:
CNN

■そして最後:
フレンズ 全10巻(DVD)


ここまで行けば、かなりの英語力を身につけていると思う。CNNレベルでTOEIC930は固いから、まあTOEICは卒業として、いよいよネイティブなみの英語力を身につけるための挑戦がはじまるわけだね。

朝30分、昼2時間、夜30分のディクテーションをもう3週間続けている。これが力にならずになにになろう。そしてこれは2週間後のTOEICテストで終了する道ではなく、今後しばらくは続けていく道なのだ。外資レベルですら超えてみせる。


Make it fun!

Tuesday, November 14, 2006

blog - 5年間間違え続けてきたこと。。



先々週末に料金未払いで電話回線を止められ、支払ったにもかかわらず1週間ばかり故障?で不通が続いていた。当然インターネットもできなかった。まあそれはどうでもいいことだった。

その間、驚愕の事実をわたしは知ることになった。一人暮らしを始めてもうすぐ満6年を迎えようとしているが、その間、わたしは恐ろしい過ちをずっと犯し続けていたのだ。恐ろしいことといっても、まあどうでもいいことだ。

要はですね、一人暮らしだから当然自分で洗濯をしますよね。そして洗剤を普通は使いますよね。わたしはその洗剤に5年以上ずっとハミング1/3を使っていたのです。(ハミング1/3は先週はじめて気づいたが、いわゆる柔軟剤で洗剤としての機能を持っていない・・・)

なんかさ、気づいたきっかけはクライミングシューズをいくら洗っても匂いが落ちなくてさ、そんな俺の足って臭いのかよとか思いつつ、ハミング1/3で手洗いしてみても泡が立たないから、なんじゃこれ?って見てみたら、洗剤ではどうもなく、ドラッグストアに見に行ったらアタックとかが洗剤なわけだよね。


まあ、別にどうでもいいことだ。

Monday, November 06, 2006

blog - My way

「YAMAMOTO WAY」をまとめる必要があるな。

とさっき感じた。つまり、わたしは今までとてつもない成長を遂げており、それは誰しもが経験することではあるが、それを明確な形でどこかにまとめる必要がある。そうすることによって、そのWAYを人に伝えやすくなるからだ。より高い成長を促すきっかけにもなるからだ。


I felt that.

Tuesday, October 31, 2006

blog - 5年後のVision

1ヶ月くらい前に会社でやっていた『ビジョン・メイキング』という2日間の研修に参加したわけなんだけど、そこでの2日目の最終課題に5年後のビジョン(自分のあるべき姿)を描き、そこに至るためのステップ(2週間後、1ヵ月後、3ヵ月後・・・)を書き出しなさいみたいなものがあった。

4つのビジョン(目標)を立てた。そしてそれらへの道は明確になった。自然に笑みがこぼれ、全身から力が漲るようだった。いずれ明らかにせねばなるまい。


人生が動き始めた・・

China - ホテルの事前予約



1泊目と2泊目のホテルを愛用しているHotelClubというサイトから予約した。1泊3,641円くらいだった。上の写真のように小奇麗な感じで、三ツ星弱(★★☆)というランク。ニューヨークとロンドンでは1泊ずつホテルを変えたんだけど、今回は現地着が夜遅い(21:00過ぎ!)ということもあり、2泊目まで予約することにした。

3泊目は激安なホテルを見つけてそこに泊まろうと思う。英語は通じないかもしれないが、要は旅の要領は同じだ。(たぶん)


中国に行くことにしてホントに良かったと思っている。2月にはインドだ!

Tuesday, October 24, 2006

blog - 何があっても忘れてはいけないこと

それは湿布の効果だ。インドメタシン配合だ。

俺、薬嫌いだし、医者にもほとんどかからないけど、湿布の威力だけはすごい。クライミングのやりすぎで(やりすぎというより落ちたときにひねったからだと思う)腰が痛かったんだけど、インドメタシン配合の湿布を貼ったらアラ不思議。あっというまに回復してしまった。もう驚いたよ。


それを忘れないこと。忘れてはいけないことを忘れないこと。

Monday, October 23, 2006

blog - ディクテーション③

■まとめ2

・要は今までディクテーションを避けていたのだ。時間がかかると。Time-Consumingだと。

・しかし壁にぶち当たり、ふと悟ったのだ。成すべきことを成せと。急がば回れと。ディクテーションをしろと。

・そして杉村さんの本を思い出し、単語カードも作り始めたのだ。成せば成ると。岩をも動かせと。変化しろと。

・だから、人目を気にするなと。たまには電車で声を出しても構わないと。今までできなかったことをやるのだから。不可能を可能にするのだから。


My mission appears to be clearly.

blog - ディクテーション②

■まとめ

・要はですよ、こう考えなさいと。「今まで英語能力を高めてきたのはこのためだと。ディクテーションを行うためだと。ディクテーションを行うために今までの勉強があったのだと」。

・そしてこう考えなさいと。「そしてディクテーションを行えば、より高みへ到達できると。今まで届かなかった場所に手が届くと。ディクテーションこそ英語をマスターする上での最終的な手段であると」。

・まとめとしてはこうです。「だから集中しなさいと。ディクテーションをしなさいと。書き取るとともに、シャドーイングもしなさいと。すぐついていくタイプのシャドーイングと、1文まとめてのシャドーイングとを。これで間違いないと」。


Let's dictate everything!

blog - ディクテーション①

■定義
ディクテーションは900点突破のための「ファイナル・ウェポン」(Final Weapon)である。

■効果
・ディクテーションは複合競技である。
・すなわち4つの技能すべてに効果をもたらすものである。
・かつより高い次元で効果が発揮され、自発的能力も手に入る。

■方法
・1文をまとめて聞き取り、まとめて書く。
・2回で書き取り、2回シャドーイングし、2回口頭で繰り返す(←1文まとめて)。
・最初は簡単なマテリアルから。徐々に難しい課題に。

■ポイント
・種々のイディオム、文法の使い方が自分のものになる。
・スピーキングもお手の物。なぜなら、頭を使って話しているから。
・100時間続ければ、きっと900点が手に入る。いや、200時間かも。


Let's do it!

Sunday, October 22, 2006

blog - ロッククライミング(physical Area)


(※エレベータ内から撮った人工壁とその隣のフィットネスマシーンルーム(3F))

今週は水曜日に久しぶりに溝の口のセントラル・フィットネス・クラブに行ってきた。目的は1つ。数ヶ月前惨敗した溝の口のルート(15メートルくらいのロッククライミング用人工壁)にリベンジを果すためだ。わたしはこのために週2回きっちり2時間ずつクライミングの練習を行ってきた。

結果はまあ一勝一敗というところだろう。前回登ることができなかったところを登ることができたし、11aというグレードを完登しかけたけど、思ったより成長していなかったかもしれない。一緒に行ったK氏にはその成長を驚かれたけど、まあわたしはもっとやれたはずなのだ。

今は週2回(大体水曜と土曜)ロックジムに通っているけど(主に吉祥寺のISARA)、週3回に増やそうかなと思っている。ISARA2回に溝の口1回だ。溝の口では泳ぐこともできるから、クールダウンをスイムで行うことができる。それに体幹力も向上させることができる。指と肩の痛みだけがリスクだ。


I'm going on climbing.

Saturday, October 21, 2006

China - The die is cast



賽は投げられた。というか北京行きの航空券を買ってしまった。12/1(金)~12/4(月)の3泊4日。厳冬の北京に言葉話せぬ一人の男、降り立つ。万里の長城も越える。

まあ少し不安な部分もあるが、得られるものも多いだろう。雪山に行くような装備で成田から発たなければならない。グローブも買おう。フェイスガードもだ。


I crossed the Rubicon.

Thursday, October 19, 2006

China - Why China?



なぜ中国なのか?それにはいくつかの理由がある。

・中国という国を肌で知る。
・経済状態を視察する。
・中国語をマスターする。
・中国人を知る。
・国際人として活躍する。


さて、順に述べていこう。

■中国という国を肌で知る。

中国は、あらゆる学者、あらゆる識者が述べているように、21世紀中にアメリカと並ぶ超大国に成長する。日本はGDPについてはまさにあと数年レベルで抜かれ、一人当たりのGDPについてはまだまだだろうが、いずれ肩を並べられるまでになるだろう。そのような国を実際の目で見ずに何を見るというのか。

ニューヨーク、ロンドンで感じた今まで掛けていた色眼鏡の存在。空想がもたらす危険。街中を歩くその一歩一歩がもたらす疲労の中の発見。小さな発見の中の大きな啓示。車の音。空気の色。人の歩き方。話す言葉。標識。そして街の歴史。中国で再び、わたしはすべてを見るだろう。


■経済状態を視察する。

わたしはわたしの金融資産の約半分を中国に投資している。いわゆる中国株投資だ。3年前くらいに始め、数百万が数百万になったり数百万になったりした(笑)。そして今年からは日本株を売り払ってできた原資で中国に追加投資をしたが、まだ大きな動きはない。わたしは賢明なる投資家として、中国の経済状況を綿密に視察しなければならない。


■中国語をマスターする。

マスターするというのは嘘だが、出発するときには英語はほぼ完璧になっているだろうし!、そろそろそれまでに得られた言語リテラシーというものを他の言語に応用すべきときが迎えられているだろう。おそらく準備期間は1週間もないが、最低でも数字、基本的な挨拶、基本的な会話くらいは覚えて、かつ流暢な発音ができるようにしていきたい。マスターは息子か娘に任せたい。


■中国人を知る。

一般に中国人のイメージは「声が大きい」「すぐ怒る」といったようなネガティブなものが多いだろう。日本もよくバッシングされているし、アジアカップのときなんかひどかったもんね。でも、実際のところはどうなのだろう?現地に行かなければわからないことがあるのではないだろうか。現地で実際に現地の人とコミュニケーションしなければ知りえないことがあるのではないだろうか。

わたしは基本的に自分の目で見たものしか信じないのだ。噂や、ゴシップなどは信じないようにできているのだ。


■国際人として活躍する。

中国の後はインドに行くだろう。そしてそれは来年の2月くらいだろう。その後は、そのときの興味の向いている先に合わせるわけだが、ブラジルとロシアの前に、もう1度ずつアメリカとヨーロッパに足を運ぶかもしれない。うん、視察の間に旅行的なものが挟まれるかもしれない(笑)。

あとは東欧か。そして忘れてはいけないアフリカ大陸。実はあまり興味はないのだけれど、全大陸制覇のために早めに行かなければいけないでしょう。ま、ただ、2010年にワールドカップが南アフリカで開催されるので、そのときに行くという手もある。オシム・ジャパンを応援しに行きがてら。

ということで、わたしの世界への旅は観光が目的ではない。それは既に散々述べていることではあるが、あらためてここで確認しておこう。わたしは世界を視察する。グローバル化が進む現代、そして国際人として、わたしの解き放たれた矢はチルチルとミチルの如く、つまり青い鳥を探す彼らの如く、世界中を旅するだろう。


終わりなき旅を終え、そして、青い鳥を見つけるだろう。

China - 「世界を行く」再び



中国を見たかった。なぜなら中国三千年の歴史、孔子、孫子、そして22世紀の超大国の真の姿を実際の目で感じたかったから。

年始に世界を旅することを誓い、ニューヨークとロンドンを踏破した。アメリカ大陸やヨーロッパにはまだまだ見なければいけない場所がたくさんあるが、それよりも、中国、インド、そしてアフリカ大陸がわたしを強く呼んでいた。H.I.Sの格安航空券の相場だけが気がかりだった。

そして機は熟した。11月および12月の北京直行便(往復)は33,000円くらいらしい(といっても燃料代とかで46,000円にはなる)。仕事が若干忙しくなりそうだが、社会人10年目のわたしとしてはそれくらいは簡単に制御できそうだった。12/1(金)~12/4(月)の3泊4日にしようと思った。


英語は使えないらしいが、国際人としてやらなければならないことはやらざるを得ないのだ。機は熟した。

Wednesday, October 18, 2006

blog - TOEICの結果②

悲しいお知らせではあります。

Listening 405
Reading 430

Total 835


3月:870 → 5月:855 → 9月:835ととどまることを知りませんこのTOEICTESTはっ!

この悔しさを11/26(日)の今年最後のTOEICテストにぶつけます(申し込んでてよかった~)。次は本気です。


PS
ここで戦略を練ろう。どのようにして900点を超えるか。

■問題点
・リスニングがやっぱりダメなんだ、根本的に。
・リーディングも試験前に1000問解いたのに全然ダメじゃん。
・ということで何らかしらの抜本的な対策をとらなければいけないね。

■対策
・British accent対策にiPodでBBCを聞いているからこれはよし。(+20点)
・前回ちょこっとやったディクテーションを本格化させよう。よし、毎日3時間やろう。電車の中でもやろう。昼はスタバでバナナを食べよう。(+30点)
・難しいのはリーディング対策だな。文法本をもう1度読む必要があるか・・・。でもこれは20~30時間くらいかかるから大変だ。However, やるしかない。(+10点)
・長文問題は問題ないはず。洋書を2、3冊読む。(+5点)
・ボキャブラリーについては前回買った『上級TOEIC』を復習くらいでよし。(+5点)

ここまでで835 + 20 + 30 + 10 + 5 + 5で905点だから無事900点突破。しかしどうせだから930点くらいは目指そう。


■対策B
・英会話毎週2時間。(2人の先生と毎週2回やろう)
・ライティング力向上。点数には直接結びつかないかもしれないが、ブログを毎日英語で書こう。
・酒はもうやめているからその分集中を英語学習に向けよう。全ての雑音をシャットアウトしよう。(クライミングは続けよう)
・このくらいか・・・。いずれにしても平日5時間。休日10時間はやる必要がある。(11/26までにざっと260時間確保できる)


It's going to be fan.

Tuesday, October 17, 2006

blog - TOEICの結果

TOEICの結果が来ない。。


いつもなら試験日の3週間後の月曜、すなわち昨日の昼にはインターネットでスコアが発表されるはずなんだけど、今回については今日火曜も発表されず、2chでは暴動が起きそうな情勢だ。

まあ焦るな。結果は既に決まっている。わたしはそれを待ち、その後、稲妻のように行動を開始するだろう。稲妻のように行動するだろう。

Saturday, October 14, 2006

blog - 登山(穂高)の図



先週、会社の人たちと穂高に登山しに行きました。予報では晴れだったんだけど、小雨が降る生憎の天気で、出発地で雨具を買う羽目になった。登山の目的は体力増強。登山は限界を超えることができるのだ。

穂高といっても3100メートルある奥穂高岳ではなく、前穂高岳という2600メートルくらいのところまで登った。今まで八ヶ岳を中心に上ってきたけど、今回は北アルプスだ。景色も、晴れていればもっとすごかっただろうが、壮麗であった。

一応自分の写真を載せておく。あと何回山に登れるのか。

Monday, October 09, 2006

blog - ガーナ戦の図



オシムを生でみようと十何年かぶりにスタジアムにサッカー観戦に行ってきましたよ。日本対ガーナ in 横浜です。

試合は0-1で負け。点数がなかなか入らず、なんだかじれったい。ま、いい席ではあったので楽しめはした。ま、弟と見に行く羽目になった。


日本代表の試合が日本であったら次も見に行くと思う。まあテレビで十分なような気も・・・。

Good Luck!!!

Wednesday, September 27, 2006

blog - しばしの休息終了。さて、新しい計画を立てるとする

月曜、火曜は種々の活動のためにテンションを緩めたから、明日からまた勉強ワールドに集中しよう。ピアノもいいかなと思ったけど、やっぱりまだ早い。38歳くらいからでいいような気がする。


■計画 - 次のことをここ2、3ヶ月続けよう。

・英語
・クライミング
・社会見学
・プライベート

以下、順に述べていく。


■英語 - 次のような課題に取り組んでいこう。
・British Accent対策
・集中的なディクテーション
・楽しい英会話
・英語を書きまくろう

以下、順に述べていく。


・British Accent対策
この前のTOEICではこのBritish Accentに悩まされたことは既に書いた。日本語を習いたてのアメリカ人がいきなり大阪弁を聞いたらびっくりするよなそりゃ。そんな感じだった。ということで、わたしくは、次回のTOEICテスト(最後にもう一回受けることにした11月下旬)に向けてBBCをPodcastすることになるでしょう。いやな癖がついたらいやだが、まあ背に腹は代えられないということ。

・集中的なディクテーション
リスニングがいまいちだったことは既に書いた。ということで、リスニングで満点(495点)をとってしまうくらいにこのリスニング力を高めようと思う。そうなったらやることは多分1つ。英語を聞いて、それを1文まとめて紙に書くという英語学習の最後の砦、「ディクテーション」である。これは時間をすごく食うのです。だから今まで避けてきた面があったのだけど、ワークブックもやったし、そろそろやる必要がある。とりあえずは『上級者TOEIC英単語』のコンテンツが良かったから、これを使って毎日ディクテーションすること。

・楽しい英会話
まだ2回だけど、新しい先生との英会話レッスンはなんかうまくいきそうだ。前回のニコールほど素晴らしい先生にはもう会えないだろうと覚悟していたが、どうやら何か楽しそうだ。詳しくはまた報告する。

・英語を書きまくろう
ブログをほぼ毎日きっちりつけること。いろいろな表現を取り入れるよう心がけること。それとともに『ウェルテル』の朗読はこれからも続けていき、スピーキング・ライティングの力を一刻も早く「ビジネスレベル」まで押し上げること。それを使わなければならない時は近い。


■クライミング - 週2回通い、1年は少なくとも続けること

酒をやめ、肉体を極限まで鍛えたらどのようなことが起きるのだろうか?それを確かめる。困るのは肉を無性に食べたくなることがあること。まあ必要なんだろうけど、隠れベジを目指していることを忘れないようにしよう。


■社会見学 - いろいろな世界を覗こう

このブログでは残念ながら書けないことではあるが、TOEICも落ち着いたし、いよいよもろもろの活動を再開しよう。わたしは30代で「立つ」ということを既に決めた。ならばその着地点から逆算していくと、今何をやらなければならないかが明確になる。具体的にはそろそろ世間の波に完全にもまれる必要がある。


■プライベート - 来年2月に32歳になる

そろそろ頑張ろう。もう大丈夫だ。もう自分という人間が最低の人間ではないということははっきりとわかっている。準備は完全に終わった。今までに蒔いた全ての種が1つの方向に向かって芽を出そうとしている。もうやることは一つではないか。今までそのためにしゃがみ、力を溜めてきたのではないか。


※レッツロール!

Sunday, September 24, 2006

blog - 第125回TOEICテスト②

受けてきました。

んー、なんだかなー、いまいちパッとしない。

今までで一番できたような気もするけど、リスニングの点があまりよくないような。

パート2で予想以上に苦戦してしまった。直前に単語と長文ばかりやって対策がおろそかになったか・・。

リーディングは時間がギリギリだった。読解問題に時間をかけすぎたのかもしれない。ま、そのおかげで不正解はほとんどないでしょう。


ホントは「よっシャー!」っていう感じでいきたかったんだけど、今日のクライミングもよくなかったし、まあこんな感じか。明日から頑張るよ。

では。

blog - The Morning

I swear to you I'll do my best today.


Thank you.

Friday, September 22, 2006

investment - 中国株市場↗

話は変わるが、中国株が順調だ。まだ大きなゲインは得ていないが、香港ドルの上昇と合わせて、ひとまず満足できる結果を出している。

年内1億円はすでに不可能だが、こっちのエリアもやってやる。半年以内に来るである次の投資機会に勝負を賭け、1億円は無理でも何らかしらの成功は収めたい。


わたしの目はまだ衰えてはいない。

blog - 第125回TOEICテスト

やってやる。今までのすべてをぶつけ、やってやる。


リスクはあるが、この直前期に新しい教材を追加した。『上級者へのTOEIC Test英単語』。単語の本ではあるが、TOEICのパート4(リスニング)へのトレーニングにもなる。

今日が勝負の日だ。

Wednesday, September 20, 2006

blog - Next Step of My Life

ピアノ・・・。

『旅立ちの時』、『シャイン』。


Regards,

Saturday, September 16, 2006

blog - 英語を勉強し始めてちょうど丸2年になる

ちょうどでもないが今度のTOEICテストがいわゆる節目の日になるだろう。勉強を始めたときは、半年くらいで900点をとろうと思っていた。そのくらいのペースでやらないとその先の目標であったMBA留学が果せなかったからだ。

しかしいくら勉強しても思うように点数が伸びず(740点くらいまではすぐにいったが・・)、特に800点の壁突破に相当な時間をかけてしまった。そして今、ようやくその900点に手が届くところまで来ている。英語の4つの技能を満遍なく向上させ、海外にも修行?に行った。わたしはいけるはずだ。

雨を告げる天気予報のおかげで土日に予定していた登山の計画はなくなってしまった。しかしこれはもうちょっと最後に踏ん張ってみなさいという神のお告げではなかったか。900点を狙うのではなく、930点、そして950点を狙いなさいと。そう言われれば、やらざるをえまい。


彼女は、確かにそう言った。

Wednesday, September 13, 2006

blog - 英語の具体的な対策

若い人の今後のために、ここ2週間にわたしが行うTOEIC対策を少しまとめておこう。

■基本軸
・CNN
・朗読
・単語
・ブログ
・多読


■応用的
・文法問題1000題
・ディクテーション
・公式問題
・運動と睡眠


■解説1
・iPodでCNNのニュースを毎日聞いてる。もう半年くらい続けているが、今後1年半くらいはさらに続けるだろう。最初は理解度40%くらいだったが、今は80%くらいわかる。ただ、これは真剣に聞いたときで、今後は流して聞いていても日本語に対するような感覚で英語が聞けていけばと思う。

・朗読、つまり声に出して英文を読むということをこれもまた半年くらい続けている。今の教材は『ウェルテルの悩み』で、1節を1度に5回続けて読み、それを3回行う。ようやく半分くらいまで進んだ。そしてこれは準備運動またはストレッチのような効用を持ち、「英語脳」と「英語舌」の形成に大いに役立っていると思う。

・単語は"1100 WORDS"という本で勉強している。向こうの本で、大学受験用の「国語」の本だ。やはり難しく、3/5が初見で、1/5がぼんやり見たことがあり、わかるのは1/5しかないような状態。逆にこれをやり切れば、すさまじいことが起きる。Timeを速読できるようになるだろう。

・英語のブログもようやく波に乗り始めたか。いや、まだまだどうしようもない文章しか書けないんだけど、以前と比べると比較にならないくらいライティング力があがっている。こだわらなければずっと英文を書いていけるだろう。メールのやり取りもできるだけ英語で書こうと思っている。

・多読とは読んで字の如くより多くの英文を読むこと。『iCon』と『菊と刀』を続けて読み込んだのはよかった。これが今のリーディング力をつくったような気がする。もちろん積み重ねなのであるが、能力を大きく向上させたいのであれば意識的に高い負荷をかけるのがよい。これからもこのような戦略的な思考を重視したいと思う。


■解説2
・文法問題を2週間で1000問解きます。いや、たいしたことではない。すでにスケジューリングは完了しており、このノルマは問題なく達成されるでしょう。つまり一日20問×7本で140問。これを行き帰りの電車の中と昼食時に行う。7日間ちょいで達成される(既に420問完了。教材は『TOEIC780問』、『TOEIC900点』を予定。

・ディクテーション本を買った。もう「買ってよかった~~~!☆」って思ったよ。これを2週間で仕上げて、万全の状態でリスニング試験に臨もう。リスニング470点をとる準備は整いすぎるほどに整っている。

・定期的に公式問題集を解き、本番への頭の最適化を行う。TOEIC900点は過程にしかすぎないが、わたしはそれへの準備を怠ることはないだろう。

・適切な食事、適切な睡眠、そして適切な運動がとられるだろう。そしてそれらは例のアルコール飲料の脅威にまったく晒されることなく、確実万全に遂行されるだろう。


■結論
仮免許失効以来のリベンジ戦がいよいよ開始される。


見ていろよー。

blog - 次なる獲物は?

わが半生において最大の敵であったあのにっくきアルコール飲料は舞台から完全に去った。それではわたしが次に克服すべき課題は何であろう?それを見つけ、特定することがこの1ヶ月の主な課題になるだろう。そうして次の1ヶ月でその課題を克服するだろう。

サイクルは徐々に短くなり、直線は曲線になり上方に突き抜けるだろう。今まで届かなかった場所に手が届くようになり、問題はよりたやすく解決できるようになるだろう。そうして今まで封印していたパンドラの箱を空け、その人生最大の戦いに身を投じるだろう。多少の混乱があり、その後に花は開くだろう。


すべては9/24(日)にTOEIC900点を取ることからはじまり、その後は面白いように事が運ぶようになるだろう。実践を最大の友とすること。

blog - 名言①

われながら名言を吐いたと思った。

「蓄積され続ける知識、衰えることのない情熱、研ぎ澄まされた思考、失われることのない勇気、形成され続ける人格、そして夢と希望。これらを掴み取ろうとする今まさにここに、わたしは立った。」


変化がもたらす心地よい風が吹いている。新しいものは常に刺激的で、常にチャレンジングだ。しかし、わたしは一時的な変化の舞台で踊っているのではない。わたしは永続し、成長し続ける車輪の中に身を投じたのだ。

「夢はあるか?」


わたしは明確に答える。それは、ある。


ん?

Saturday, September 09, 2006

blog - 酒がない生活と素晴らしいこれからの人生(最終)

そろそろ宣言してもいいだろう。わたしは酒をこれからも、一生、やめる。この決意に一点の曇りなし。男ならば、いや人間ならば、熟慮の末に決めたことについてはどんなことがあろうとも守り抜かなければならない。原則は。(←つまり例外ありということだがここでは触れまい)。

2006年8月23日だったあれは。いくつかの、いや、恐ろしいほど数多くの伏線があった。わたしの人生には酒はいらないと、その数多くの伏線が指し示していた。31年と半年ばかり生きてきて、そこから得られたもの全て、そこで学んできたもの全て、いろいろな経験全てが、こうなるべく存在していた。


やっとわたしは1つになるのだ。

Monday, September 04, 2006

blog - 酒がない生活と睡眠

より深く、より充実した睡眠がとられるようになるだろう。遅くとも深夜1時には床に入ることになり、遅くとも朝7時にはさっぱりした頭で目覚めることができるようになるだろう。すべては酒がないがため。酒がない生活は最高である。そう、最高である。


ふー。

Sunday, September 03, 2006

blog - 酒がない生活と仕事

仕事がはかどるだろう。なぜならば、今ここで告白すると、二日酔いの日や前日に酒を飲んだ日などには20%~80%の力でしか仕事をしていなかったからだ。要は100%の力を出していなかったのだ。また、酒の無意味な誘惑にも強くなるから、より集中した力を発揮できるようになるだろう。


まあ、すべてはいいところづくしということだ。

Saturday, September 02, 2006

blog - 酒がない生活とタバコとの永遠の決別

実は、酒をやめる4日ほど前にタバコをやめた。

まあタバコは公式?にはやめていたんだけど、お酒を飲むときにどうしても吸ってしまっていたのだ。いわゆる心理的トリガーで、日中はまったくタバコなど吸いたくないのだけれど、酒の席になると体がむずむずしてしまったりしていたのだ。

でも、そのタバコにも永遠の別れを告げた。酒をやめる4日前、つまり2006年8月19日、わたしは「最後の一本の儀式」を終え、タバコという薬物に対する中毒状態からノンスモーカーに晴れて再び仲間入りした。

大学時代から吸っていたタバコは、実は社会人4年目のときに一度やめている。その後3年くらい続いたんだけど、菜食主義をやめたときにひょんなことで酒の席でタバコを吸ってしまった。しばらくは大丈夫だったんだけど、そのうち酒を飲むときに必ずタバコを吸うようになってしまった。嫌悪感は募った。


今、わたしはすべてに対して自由で、すべてに対して自信を持っている。こんなことがお盆前に予想できたか?

blog - 酒がない生活とロッククライミング

酒がないとなると、体力は右肩上がりに向上し続けるに違いない。ネガティブインパクトとしては年齢の問題があるが、それでも、今までの生活と比べるとより体力は増強され、より高いグレードのルートを登れるようになるのは明らかだろう。

酒はわたしの心肺能力、特に血液の循環機能を大いに阻害し、酒を飲むときはほとんど食べ物を食べないから栄養をわたしから奪い、ただ、飲んだ後にお腹が減ってカップラーメンとかを馬鹿食いしてしまうことが多かったから、それにより悪い栄養素で体の種々の機能を害してきたのだ。

今日もクライミング入ってきたよ。腕が太くなってきたような気もするし、なにより、バランス感覚が大きく向上しているような気がする。どんな山も登れるし、難しいルートもいつかクライムできるようになるだろう。これでもう、『生きてこそ』のような状況(アンデス山脈で飛行機墜落)になっても大丈夫だ。


素晴らしいことだ。うん、素晴らしいことだ。

blog - 酒がない生活と英語

英語がすごいことになるだろう。勉強時間が一日あたり1時間以上増え、9/25(日)にTOEICで900点を超えるは言うに及ばず、新しく始めるであろう新しい英会話レッスンの成果を踏まえ、英語の領域では何にでも挑戦できるような能力が身につくだろう。今までの2倍のスピードで。累積効果で100倍の成果で。

単語をより忘れにくくなるだろう。リーディングのスピードは落ち込むことなく上昇し続けるだろう。CNNが完璧に聞こえ始めるだろう。素晴らしい文章を書き始めるだろう。クイックな頭脳でペラペラ話し続けるだろう。


夢は叶い、目標は達成されるだろう。

Friday, September 01, 2006

blog - 酒との闘い⑤(最終)

闘いは終わった。大学時代、この正常な精神を失わせる不思議な液体に対して、果敢に勝負を挑んだ。酒に強くなるため、筋トレを行うが如く、バーボンをストレートで飲めるように舌と喉と胃を鍛えた。しかし正気までは、保てなかった。

社会人になってからも克服への挑戦は続いたが、酒にこなれて来れば来るほど、意志の強さは弱まっていった。財布をなくすこと4、5回。タクシーで帰らざるを得なくなったこと5、60回。喧嘩したこと3、4回。ひどい二日酔いになること、最低月1回。

親が両方とも飲むし、なまじ肉体的には酒というものに対して強いから、つまり人より圧倒的に多くの量を飲むし、気持ち悪くなることもないから飲みすぎてしまうし、その負けず嫌い?の気性が出て、記憶を失うまで毎回飲んでしまう有様だった。


しかし、闘いは終わった。酒に闘いを挑むこと自体、無意味なことであったのだ(これは当たり前か・・・)。そして酒を飲むという行為自体、無意味なことだったのだ。慣習、付き合い、惰性、固定観念。これらによって人生に酒は欠かせないものだと思い込んでいたのだ。

闘いは終わり、自由を謳歌する。13年かかって、やっとここまで来た。人生においてやるべきことが明確になりつつあり、自分の役割を考え、他者との共存に思いを馳せ、毎日念じ、毎日上方を志向し、毎日もがき苦しんできた。機は熟し、最高の形で30代をスタートできそうだ。


こんな素晴らしい結末が待っていることなど、思いもよらないことだった。人生は不思議だ。

blog - 酒との闘い④

酒から得られると思っていたものについて。

・楽しさ

お酒を飲むと奇妙な行動をとったから、それが周りのみんなに面白さを与えているものと思っていた。話題になったし、笑わすことができたし、伝説さえつくった。しかしそれは、今思えば、儚い幻に過ぎなかった。与えていたと思っていたその楽しさは、くだらない小説、タブロイド紙、そして騒音のような三流音楽に過ぎなかった。仮になくても全く問題がなかった。そんなものよりは、別の何かが与えられたはずだった。それに今気づいたし、実感している。


くらいか。。。案外少なかった。


もう恐れることはない。

blog - 酒との闘い③

具体的に得られるものの大きさを計算してみよう。

・まず時間。

今まで、飲み会や自宅で純粋にお酒に取られていた時間はどれくらいあったか?そうだな、、、たぶん一日平均1時間から2時間くらいにはなるだろうと思う。というのは、一番大きいのは飲みすぎた後の二日酔いの無駄な時間だ。長いときは丸一日ぶらぶら過ごさざるを得なかった。

ということで1日2時間として、2時間×365日で1年730時間、1ヶ月60時間。今まで失っていたこの時間が、より生産的な時間の過ごし方に当てられるわけだ。勉強、読書、運動、思索、コミュニケーション、趣味、団欒などに。今までできなかったことが、できるようになるわけだ。


・そしてお金。

これも1日平均を考えてみると、3千円はいくのではないか。飲み会は今後も行く予定だから(当然数は減るだろうけど)、飲み会1回あたりの5千円からはあまり引き出せない。自宅で飲む酒。ビールとかジンとかだったから、いったとしても千円くらいか。大きいのはタクシー代と別途の何かしらの料金ということになるか。これらは全く発生しなくなるからね。

ということで1日3千円として、3千円×365日で1年1,095,000円。・・・!百万円???

えっ?!こんなに使っていたの?!酒に。「破壊」という名の薬物に。びっくり・・・。ということで1年百万円の新しいお金を複利が得られる投資先に適切に投資すれば、数年後には恐ろしい(素晴らしい)結果が待っていることだろう。家でも買うか。


・健康。

ここからは定量化するのは難しいが、強引になんとかやってみよう。・・・。というか無理だ。ま、ビールを飲むことによって出かかる可能性があったお腹がピシッと引き締まり、二日酔いがないから土日は午前からロック・クライミングなどのスポーツに汗を流し、好循環は好循環を呼び、新しいステージへとわたしを引き上げるだろう。


・自信、勇気、自尊心、そして自由。

自信は間違いなく得られている。今まで負け続けた酒という存在についに打ち勝ったということ。これからはそんなものに悩みを感じなくて済むのだということ。研ぎ澄まされた思考。蓄積され続ける知識。失われることのない勇気。そして希望。

人との付き合い方も変わる。酒で悪い印象を与えることはもうない。より深く、より適切に人間関係が充実していくだろう。わたしの人間としての力も、それらによりどんどん成長していくだろう。失われた10年が取り戻されるだろう。新しい出会いが、あるであろう。


・まとめ。

でかい・・・。得られるものは相当でかい。今まであきらめてきたもの、すべてに再挑戦する。


すべてに再挑戦する。

blog - 酒との闘い②

要は禁酒しました。今度はホントのような気がする。欲求はないし、飲み会があったとしてもソフトドリンクで通すことができるということを確信している。なんか不思議な感じだ。

「破壊」という名の薬物、酒。これをやめることによって失うものは何一つなく、得られるものは無限。健康、お金はいうに及ばず、自信、勇気、自尊心、そして自由。何より、夢の実現。

「最後の一杯の儀式」を終え、その翌日以降、成し遂げたことの大きさを思い、自然にガッツポーズが出る。今までできなかったことを俺はやったんだ。より強くなった意志、より明確さを増した知性、より温度を増した情熱により。


もう何でもできるような気がするし、実際やるだろう。

blog - 酒との闘い①

それは長い闘いだった。永遠に挑み続け、永遠に負け続けるんじゃないかと思った。飲み始めたのは高校を卒業してからだから、13年と半年。かなりの影響を、わたしの人生に与え続けてきた。絶望と、困惑と、百日を超える二日酔いを、わたしに与えてきた。

その間、何度か断酒を試みた。節酒については数え切れない。成功しかけたこともあったが、結局は空しい短期間の試みにしか過ぎなかった。お酒の席で楽しいこともあったし、いろいろな出会いがあったことも確かだ。しかし今思えば、そこには酒は必ずしも必要なかった。

今こそ振り返ろう。わたしにとっての酒とは一体なんだったのか?酒がもたらしたものは何か?酒がなかったとしたら手に入れていたものは何か?そして今、そして今後、新しいわたしの人生はどのように展開され、どのように着地していくのか。それを考えてみよう。


思えば、それは長い闘いだった。