Wednesday, March 15, 2006

NYC - 「西洋人と西洋世界に関する考察」

ニューヨーカーに信号はない。信号機は確かにあるのだが、歩行者にとって、その信号機はより注意して渡るか、それとも普通に渡れるかの情報をもたらしてくれるだけのものだ。「止まれ」はいわゆるGo, but be careful. なのだ。

これは「信号で待つのは時間がもったいない」とか、「他の人が信号を無視して先に進んでいくのがくやしいから俺も行こう」とかいう単純な次元の話ではない。彼らニューヨーカーにとって信号を無視して車をよけながら先に進むことは、人生の一部、自己表現の一部になっている。

しかし一体これはどういうことなのか?


ゴミの分別がなされていないのにも驚いた。例えばPizzaのFastFoodShopではビンビールの販売もなされている。しかしそのゴミ箱には普通のゴミ用とビン用のものが分かれていない。だからみんなビンも紙皿も一緒に捨てるわけだ。これには随分戸惑った。(ただ、回収後に分別されている可能性はある)


チップについては「チップ」の章で詳細な考察を加えるが、このチップという制度も、わたしに戸惑いを与え続ける仕組みである。


そしてJFK空港での案内係のそっけないサービスや、例の地下鉄の係員の人に怒られたこと、そして所々の店で経験した「サービス」という概念の欠如。これも新鮮な驚きだった。


ニューヨークは大きくて、パワフルだった。しかしそれはアバウトで、乱雑な感を否めなかった。


個人経営の店が非常に多かったのも特徴的だった。床屋、ランドリー、デリ、レストラン、日常食品店。ただそれとは対照的に、マック、スターバックス、サブウェイ、duane readeというコンビニなどはいたるところに存在した。不思議な共存だった。(何らかの行政的な施策はあるのだと思う)。


大それた題名をつけた割には、いい答えが言葉では言い表せないことに気づいた。ただ、西洋人と西洋世界について、何らかの新たらしい認識が得られたことだけは間違いない。

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